忘れてしまった君の詩-2
その夜。僕の退院を祝って、家族はささやかなパーティーを開いてくれた。
祖母と香織ちゃんの作ってくれた手料理はどれもおいしくて、一ヵ月の間、点滴と味気ない病院食で飢えを凌いできた僕には頬っぺたが落ちそうになる程、絶品だった。
そのことを素直に口にしたら、『龍麻の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかった』と皆に笑われてしまった。何故かと問い質す僕に、父さんは『この家で一番の料理上手は龍麻だからさ』と聞かされ、僕は驚いてしまった。
母親のいないこの家で『僕』は、主婦業を一手に担っていたらしい。
その席で香織ちゃんは、自室から引っ張りだしてきたというアルバムを見せてくれた。
アルバムは小学校高学年から中学生くらいまでの僕達を中心にしていた。
「ほら!これが家族で遊園地に出かけたときの写真よ」
一枚の写真を指差して、香織ちゃんが言った。
そこにはソフトクリーム片手にカメラに向かって笑顔でピースする幼い香織ちゃんと、憮然とした表情で腕組みしながら、そんな彼女を見る少年の姿が写しだされていた。
「これはお兄ちゃんが勝負に負けて、ソフトクリームを奢らせられた写真ね」
「どんな勝負をしたんだい?」
「絶叫マシンに乗ってどっちが先に声を上げるか。お兄ちゃんは最後まで叫びっぱなしだったけどね」
と、彼女は肩を竦めた。 そう言われれば、写真の少年はどこかげっそりしているようにも見える。
過去の汚点にわざわざ触れることもあるまい。僕は別の写真を指差した。
「これは?」
それは誰かしかが必ず写った他の写真とは明らかに毛色の違うもので、夕焼けに沈む太陽と田園だけが映し出されていた。
少しピンボケはしているが、赤く染まった稲が風に揺れる様は、舗装が行き届いてしまった都会では味わえない感動を呼び起こしてくれる。
それは同時に、撮った者の心情がこの写真によく表れているということだ。
「ああ。それは龍(りゅう)ちゃんと香(こう)ちゃんと一緒に、おばあちゃんの故郷に帰ったときの写真やね」
そう答えながら、おばあちゃんは僕と香織ちゃんの前にコーヒーを置いてくれた。カチャリっと鳴ったカップが香ばしい仄かな薫りを空気に漂わせる。
「ありがとう、おばあちゃん」
「あっ、すいません。お手伝いもしないで」
「ふふふっ。気にせんでいいよ。龍ちゃんほどうまくいれてやることもできんしねえ」
畏まる僕に、おばあちゃんは顔の皺をより一層深めた。
「それにしても懐かしいねえ。あれからもう五年になるのかい」
「あたしが小学六年の頃だから、そうなるね」
「そうそう。夜の闇が恐おうて香ちゃんが最後のお漏らしをしたのもこの時やったね」
「おっ、おばあちゃん!」意外なところで過去の粗相を暴露され、焦る香織ちゃんの声に、父さんの笑い声が重なった。
「ははっ、香織。そんなことがあったのか?」
「と、父さんまで。もう!昔のことよ!」
顔を真っ赤にして拗ねる香織ちゃん。
先程から思っていたことだが、この家の家族仲はすこぶる良いようだ。
最初こそ僕のことを気遣ってか、ぎこちない雰囲気があったものの、今では自然と笑顔が溢れている。
これがこの家が本来持つ空気なんだろう。
知らず知らずのうちに、僕にも笑みが浮かぶようになっていた。
「お兄ちゃん!早く早く!」
「ちょっ、待ってよ、香織ちゃん」
三日後の朝、八時。
僕は香織ちゃんに急き立てられるようにして、玄関を転がり出た。
「うわっ!」
「きゃっ!」
文字通りに…。
「ちょっと、大丈夫。お兄ちゃん!?」
先に外で待っていた香織ちゃんだったが、何もないところで不様に転んだ僕に駆け寄ってきてくれる。
「あはは…うまく靴が履けなくて…」
気恥ずかしさを笑いで誤魔化してみる。
「もう…しっかりしてよね」
そんな僕に呆れ顔の香織ちゃん。
この三日間で香織ちゃんとは大分打ち解けることが出来た。
今日から僕は学校に復学することにした。
父さんからはもう少し待ってからでも良いんじゃないか?とは言われていたが、僕としてはそれに甘えるわけにはいかなかった。
なにせ半年もの間、病院で入院生活を送ってきたのである。
当然ながら、その間、学校に通うことができなかった僕は、今年も高校二年生として過ごさなければならない。
半年分の入院費に、留年したことによって生じた学費。
これ以上、父さんに負担を抱えさせる訳にはいかない。
(それに…)
僕は半年ぶりに目覚めたときのことを思い出していた。