多分、救いのない話。-1--5
「はい。あと十分で」
慈愛が解いているのは、国立大の入試レベルの問題。今日は英語のライティング。
十四歳ではあまりにも無理難題を、しかし慈愛は必死で解いている。
今、慈愛は椅子に腕以外がきつく鎖で拘束され、下手に動くと首すら絞まる状態になっている。
そして母は、そんな慈愛の後ろに立ち――いつもの包丁を持って、首元に突きつけていた。
汗がだらだらでる。頭がまともに働かない。
何より――怖くて怖くて怖くて、今すぐ叫びだしたい、そんな衝動に駆られる。
少しでもペースが落ちると、首筋を包丁でぞわりと撫でられる、その感触がどうしようもなく気持ち悪くて、思わず震えると刃が慈愛の首を傷つける。母が刃を引かない限り大きく怪我をすることはなくても、それを頭では分かっていても、一歩間違えれば命が危険なことには変わりない。そして、母は時間内に解けなければ“斬 る”と言っていて……
だから文字通り命がけで、慈愛は難問を解いていく。
あと、三分。二分、一分、三十秒前、十秒前、四、三、二、一……
「解けたみたいね」
まだ首元に包丁を当てたまま、慈愛を抱きしめるように腕を前に回して、正解率をチェックする。正解率が悪ければ……母は本当に、慈愛を死なない程度に斬る。肩や背中には、昔斬られた傷が今でも残っている。それを嫌でも思い出す。心的外傷<トラウマ>は現在進行形で、慈愛を苛んでいく。
「あら、全問正解。さすが私の娘ね?」
悪戯っぽく笑いかけられても、慈愛は応えられない。まだ、終わっていない。
「やあっっっ!!!」
母が思いっきり慈愛を縛る鎖を引っ張り、全身にある傷が悲鳴を上げる。
耳元で、母の囁く声。
「でも私があなたくらいの頃、この程度の問題は半分の時間で解けたわよ?」
本当か嘘か、慈愛には知らない。分からない。だけど少なくとも、母なら出来て不思議はない。
それが、慈愛には哀しい。
「ご、ごめ、ごめんなさ……!! あああ!」
さらにきつく引っ張り、全身がバラバラになりそうな感覚が走り、あまりの痛みに呼吸が止まる。
ぎりぎりとしばらく鎖を引っ張っていたが、ようやく緩んだ。一瞬、安堵しかけて……
「がっ!!!」
鋭すぎる胸の痛みに、刹那ではあるが本当に意識を失った。母が包丁の柄の方で鳩尾を殴ったのだと気付いたのは、数瞬後のこと。横隔膜の硬直で、本当に息をしようとしても出来ず、意識が戻ってもひたすら苦しい。苦しい。イタイ、痛い、いたい痛いいたぃイたいィタい
「さ、次の問題にいくわね。次は古文にしましょうか?」
その言葉を聞いて、よかった、と心底思う。
古文は得意だから、もっと早く解けて、お母さんも喜ぶだろう、と。