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『料理になる前の野菜片たち』
【その他 恋愛小説】

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『料理になる前の野菜片たち』-4

飲み頃に冷めたコーヒーを啜り、夕実は小さく溜め息を付く。恵子と祐二が買い物を終えてここに来るまでにはまだ十五分くらいはあるだろう。いっそのこと自分もついていけばよかったかもしれないと思うが、やはりそれはよくないだろうと思い直す。
いいかげんさっさとあの二人はくっついてしまえばいいのに、と夕実は思う。いや、願っていると言うほうが正しいだろうか。
祐二は自分にとって不思議な男だ。祐二のことを自分のものにしようと思ったことは一度も無い。かといって勿論嫌いでもないし、友達をやめたいと思ったことも一度も無い。要するに、祐二は「イイ奴」なのだ。
私は祐二のことが好きだ。と夕実は自覚している。そしてその好きは、恋からは限りなく遠く、しかし愛によく似た感情だ。この感情が、恵子に対して抱いているものととても近いものだと夕実が気付いたのはごく最近のことだ。つまり、とても大切だ、ということ。
そのとても大切な二人が一緒になって、それで二人揃って自分の側にずっと居てくれたら、どんなに素晴らしいことだろうと思う。
二人が帰ってくる前にキッチンの準備をしておこう、と思い夕実が立ち上がろうとした時、夕実の携帯がけたたましく着信をつげた。
背面ディスプレイに表示された今の恋人の名前を見て、夕実は少し微笑んでから携帯を開いた。
「もしもし。」
『もしもーし。オレ。』
「知ってるわよ。」
クスリと笑って返す。相変わらず軽薄な響きの声だと思う。けれどそこが愛おしくもある。
しばらく電話越しにくだらないことを言い合いながら、夕実はやはり彼のことが好きだと思う。間違いなく、一番に。その恋心がどれほどの持久力を持っているは分からない。けれど今は間違いなく彼なのだ。
『それでさ…』
あ、来たな、と夕実は直感する。電話を受けた時から予感していた台詞が聞こえてくるだろう。
『これから会わない?』
いつも通りの無邪気で軽薄な声だ。
「ごめんね。ちょっと今日は用事があんの。」
電話だと自分もそんな軽薄な声に合わせて喋ってしまうのが不思議だ
『えー、なんでよー、オレに会うより大事な用事?』
「んー、そうね、とっても大事な。」
『どんな?』
「友達とちょっとした食事会をするの。」
『オレより大事なトモダチ?』
「そ、全然大事なね。」
『ちぇー、ひでえなー。』
「ごめんね。」
『じゃーしょうがないなあ。一人寂しい時間を過ごしてますよ。』
拗ねたような声。でも本気で悲しがっているような声は出さない。夕実が聞いて嫌がるような声は。ちょっとした意地悪、寂しさを埋めるためのじゃれつきだ。夕実は彼のそういうところを可愛いと感じる。この男の良いところはどんなことにも平等に軽いということだ、と夕実は思う。彼といるといつも楽しい気分になるし、何も難しいことを考えなくて済む。安心して怠けた女でいられる。
もう一度ごめんねを入った後に電話を切った。携帯を置いて、改めてキッチンの準備にとりかかる。
フライパンを棚から出しながら、夕実は先程の恋人との会話を思い出す。
(オレより大事なトモダチ?)
(そ、全然大事なね。)
多分彼はいつものからかいでしかないと思っているだろう。でも、と夕実は自分の本心を探る。夕実は本気でそう思っていた。本気で、彼と会うことよりも恵子と祐二と食事会をすることのほうが大切だと思っていた。本気で、彼よりも恵子と祐二を大切に思っていた。二対一というハンデはあるにせよ。しかも、そのことに全然罪悪感がないのだ。彼との会話ももうすっかりどうでもよくなり、これからの楽しさを想像して胸を躍らせている。
こんな自分は冷たいのだろうかと夕実は考える。いや、そうではない。きっと恵子と祐二は自分にとってそれほど特別なのだ。
もうじき二人が帰ってくるだろう。きっと自分は気の抜けたような声で「おかえり」と言うのだ。そして恵子は楽しそうに「ただいま」と言うだろう。祐二は多分「外はいい天気だったよ」なんて笑って言いながら恵子の後から入ってくる。
なんて理想的な光景だろう、と夕実は思う。この先もずっとそんなことが続けばいいのに、と。三人ともがそう思っているなら、それはもしかしたら実現する夢かもしれない。そのためにもあの二人には早くくっついてもらわなくちゃな。
そんなことを考えている自分が少し滑稽で、夕実は笑った。女が一人でキッチンで笑っている様は可笑しいものかもしれないが、今日のような日には許されるだろうと、窓の外の春を見て、夕実は思う。



ガチャリ、とドアの開く音がする。
開いたドアから春が部屋に入り込む。
「ただいま。」


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