『傾城のごとく』-10
(お父さんが帰ったら言おう)
湯船から出て身体を洗っていると、あちこちに痛みを感じる。
(病院まで亜紀ちゃんと走って行ったし。仔猫の世話で変に力が入ったのかな……後2日間頑張らなきゃ)
風呂から上がった千秋はキッチンに居る母に“お父さんと一緒にゴハン食べるから、お父さんが帰ったら呼んで”と言うと2階に向かう。母と小春は不思議な生き物でも見るように千秋を見送った。
しばらくして“ただいま”の声とともに、玄関口でスーツを払う父の姿があった。
「参ったよ。急に雨が降ってくるんだから」
「おかえりなさい。ゴハンにします？」
「そうだな。先に食事にしてくれ」
母は準備をしながら思い出したように、
「あっ、千秋があなたと一緒に食べたいんですって」
父は訝ぶかし気な表情を浮かべると母に訊いた。
「千秋が、何かあったのかい？」
「いいえ。ただ、今日も帰りが7時頃だったわ」
そう言うと母は千秋を呼びに行った。
父と千秋は食事の間、当たり障りの無い会話に終始した。学校での出来事や会社の事など。が、会話はどこかぎこちない。
食事が終わって、くつろいでいる時も千秋の表情はすぐれない。見かねた父は、
「千秋。お父さんに相談が有るんじゃないのか？」
千秋は一瞬狼狽する。が、すぐに覚悟を決めたように父を真っ直ぐに見ると、
「お父さん。それに、お母さんにも、お姉ちゃんにも聞いて欲しいの」
雨音は更に強くなり、外の音をかき消していた。
「私、昨日学校帰りに猫を拾ったの」
「拾ったってあんた…」
父は右手を上げると小春の言葉を制した。そして、千秋に“それから？”と促す。千秋はこれまでの経緯を身振りを混じえて熱っぽく語る。
「こ、こんな小さな身体で一生懸命鳴くんだよ。“助けて、助けて”って。私、気がつくと仔猫を抱いて病院に駆け込んだの」
千秋は感情を抑え切れずに瞳から涙を溢れさせながら、
「お願いします！家に仔猫をおいてあげて！私、何でもするから」
今まで、これほどの自我を出した事の無い千秋がここまで言うんだ。余程の事だろうと、母や姉は“千秋の好きになさい”と言ったが、一番の理解者だと思っていた父は神妙な面持ちで千秋に語りかける。
「千秋。生き物を飼うのは構わないよ」
父はあえて“生き物”と言った。
「だが、確実に千秋より早く死ぬんだ。君は、その最期まで看取る事は出来るのか？その事を忘れないでくれ」
千秋は仔猫を“いとおしい”とは思っていたが、“最期を看取る”事まで考えてもみなかった。そんな千秋の表情を見た父は、“明日の夜までに結論しなさい”と言って、その場を閉めた。