doll V-2
「ねっ。智花。温泉に行きたいと思わない?」
湊がそう智花に言ったのは朝食を食べているときだった。智花は急な物言いにむせる。
「湊、急にどうしたの。まさか昨日のテレビに影響されたんじゃないわよね?」
昨晩、智花たちはテレビ番組で温泉特集を見ていた。その時智花がぼそっと温泉にいきたいと言ったことを、裕奈と湊は聞き逃すはずもなかった。
二人は雑誌を読みあさり今朝行く予定をたてたのだった。
「どうせ、暇なんでしょ。ずっとここにいてもやること限られているし。ねっ?行こうよ。」
裕奈は智花がせっかくの休みをどこにも遊びに行かず自分の家で過ごすのは暇になってしまうだろうと思っていた。かといってどこか行きたいところがあるわけでもなかったので、ちょうど困っている時のことだった。
「いいよ。それで、どこに行くの?せっかく行くのならそれなりのところに行きたいんだけど。」
山に囲まれたこの地域にはいくつもの温泉がある。智花も子供の頃にはよく家族で温泉に行っていた。もちろん智花も温泉が好きだ。
「もちろん。智花との大切なお出かけだもん。その代わり一泊二日のちょっとした旅行になるけどいいよね?」
「もちろん。二人がそこまで決めてくれているんだし、今更あたしが嫌なんて言わないよ。」
今まで裕奈の好きに遊ばれてしまっただけに一抹の不安を覚えつつも、智花は裕奈の提案に頷いた。こうして智花、裕奈、湊の三人はちょっとした温泉旅行に行くことが決まった。
温泉に行くことは智花も大賛成。泊まりになることが嫌かと言われればむしろいい。どうせ温泉に行くならそれなりのところに行きたいと言ったのは智花だ。
場所はいいのだ。問題は行く方法にあった。
「で、どうして湊の運転する車で行かなきゃ行けないのよ?」
レンタカーの手続きを済ませる湊を横目に智花は深いため息をついた。両手で顔を覆った彼女の表情は憂欝だった。
「仕方がないよ。だってこの中で免許持っているのは湊だけなんだもん。」
確かに智花は免許を持っていない。十九の夏を過ぎても未だに取得しようとしないのは上京した先で必要に感じた事がないからだろう。
もっとも免許を持っていたとしても湊のように自分が運転すると名乗り出る勇気はなかった。
湊の運転で行くことを諦めたらしい裕奈と言えば、地元で生活しているためやはり必要なかったようだ。
「別に車で行かなくたっていいのに。電車とかバスとかほかにもあったんでしょ?」
彼女が免許を取得したのは進路が決まった後だった。その時に湊のドライブに誘われた智花と裕奈は二度と彼女の運転する車に乗るまいと決めていた。
「今更、湊を止められないよ。ほら、あんなうれしそうな顔してる。いい加減諦めよう。」
智花もここまできたらあきらめるしかない事は分かっていた。その様子はしぶしぶといったようだが。彼女のそんな様子を見て裕奈は苦笑を浮かべる。
そんな裕奈だったが湊を見ていると表情が変わる。
「ところで気付いていた?湊ったら昨日から様子が変だったのよ。」
「様子が変?」
智花の整った眉がひそめる。
「あたしとのデートの朝だって湊にしては控えめだったじゃない。」
裕奈が智花とデートに行ったあの日。湊の様子はどこか違っていて、一人留守番をかってでていた。
「そう言えばそうね。お腹でもすいていたんじゃない?」
まったく気にもしていないのか、それともただ鈍感なだけなのか。智花の様子に呆れて裕奈はため息を吐いた。
「馬鹿。智花の鈍感」
裕奈はそう言うと湊の方へとむかう。
「ちょっと、馬鹿って何よ。湊の車に乗らなきゃいけないし、わけ分からないうちに馬鹿なんて言われるしもう最悪。」
結局、智花は見た目通り中身もまだまだ幼いということだった。