【かっこわるい】-2
俊が教えてくれた場所は誰も知らないような場所。
夜中に鬱蒼とした林を歩く。
「バカ俊。くそぅ車入れれるとこにしろよ」
林に通る細い砂利道。煙草の赤い小さな火を二つ並べて僕らは進む。
「原っぱがあるんだってさ」
「ほぉお。どこにだよ」
「奥」
「バカ俊」
昔、三人で小さな山に登った。俊が計画を立てて僕は楽しみで一緒にあれこれ計画を練った。そんな二人を後目に賢治は「めんどい」と一言言い捨てマンガを読みふけった。結局僕ら三人は暗闇の山の中帰れなくなって、俊がケータイで親に電話したことから大騒ぎを起こし、賢治はぶち切れた。「言わんこっちゃ無い」そう怒鳴りしばらく口をきかなかった。
不意にその記憶が頭によぎった。あの日もこんな暗い夜で、同じくらい暑い夜。
「迷子はやめような」
そう言うと振り向いた賢治がニヤッと笑った
「当たり前だ」
それは、急な出来事だった。
気が付いたら目の前に在った。
小さな小さな黄緑色の明かり。儚いとしか形容しがたいパッシング。人の呼吸のリズムに似ている。
たった一つ。
蛍だった。
僕らは息をのんだ。林の中に、真っ暗な闇の中に、耳が痛くなりそうな静寂の中に。
動けなかった。田舎育ちの僕らはこの季節に蛍はいないと知っていた。逢えるのは初夏だ。いるはずもないのに僕らは探していたんだ。
いるはずないのに探したんだ。
「いた…」
「おぃおぃ…」
浮かぶ光。揺れる明かり。パッシングの存在。
「嘘だろ?」
賢治の言葉は僕の思いと同じだった。
立ち尽くした僕はたった一匹の蛍に魅入り、暗闇の世界にただ二人と光。それだけの世界。
何もいらない。何かがその世界から消えるかもしれない。それが恐ろしかった。
完全な世界。恐ろしくて、失いたくなくて僕は震えていた。
「仁志っ!!」
体がうまく動かない。世界を消す。それを体が拒否していた。
「仁志っ!!」
賢治が呼んでいる。うつろな視線で緩慢な動きで声の方向を探る。探す。賢治、どこだ。
シルエット。両腕を広げている。シルエット。
「仁志っ!おいっ!!」
僕を呼ぶシルエット。
有り得ない。
賢治の後ろは黄緑色の光に満ちていた。淡く弱い無数の光の海は賢治を照らし、その光の逆光で賢治の体のシルエットだけぽっかりと光の海に浮かんでいた。
「ほたる..だ」
「すごいぜっ!!俺初めて見たっ!!」
原っぱ。そこは不自然なほどすっぽりと林が消えた原っぱだった。その草むらに、その上に、その空に光る蛍。
僕らは奇跡に出会った。
二人、光の中で寝ころび空を見上げる。
自分たちが持つ赤い煙草の火が黄緑色の海に二つ。それだけが僕らがいる証拠のようだ。
どのくらい経ったかわからない。そんな時間に賢治は言った。
「なあ。帰って来いよ」
そう一言だけ。
沈黙。静寂。音の無い光が目の前をよぎる。
「失恋して帰って来るなんてかっこわるいよ」
言い切ったら涙が止まらなくなった。明日東京へ戻る。嫌だ。ここに居たい。帰る。そう言いたい。
「バカだなお前も」
うん。
バカだな。
疲れちゃった。
声にならない。聞こえるのは自分の嗚咽。
「…お疲れ。バカ」
「うん」と言ったつもりだ。けれど声になっているのかはわからなかった。ここに居ると動けなくなりそうで恐怖する。涙が止まらない。だから、だから逃げた。そこに居たかったから逃げた。
走る。振り返らず走る。蛍も賢治もついて来れないように走る。
それしかできなかった。
僕は臆病です。
自分の居場所がないと動けない。
あの人が離れて僕は混乱した。僕は臆病です。
あの蛍は僕に何をくれたのかな。
六年目。九月だと言うのに暑苦しい夜は今も慣れない。
東京の晩夏。
あの奇跡の夜から僕はなんとか生きています。新しい家にも慣れてきました。
ただ慣れないのは、田舎と違うこの夏とあの人の姿と声の無い生活。
未練たらたらです。かっこわるい。
でも、ここで暮らそう。もう少し。くだらない意地とプライド。
でもいい。
そう思う。
end