追う者、追われる者-1
塾帰り、リョウコは静かな夜道を歩いていた。
左手には穏やかに流れる川があり、薄い月光を浴びて水面は朧げにその光を弾いている。そして僅かな光による銀色が、周りの闇色を際立たせていた。
右手には昼には大勢の人間がいた筈のビルが幾つも立っている。リョウコの遥か高くに位置するそれは、まるで辺りを睥倪しているかのような存在感を滲ませていた。
そんな中をリョウコは歩いている。
勉強に追われる毎日を過ごすリョウコにとって、強いストレスを感じるのはいつものことだ。
近頃は、母までもが娘の受験に神経をすり減らし、父との喧嘩が耐えない。家事こそこなすものの、家を開けることが多くなった。遅く帰ってくることも少なくない。
そのせいか家族全員に軋轢が生まれてしまっている。いつもはそんな家庭の状況のせいに辟易し、疲弊しているリョウコだが、今ばかりはそんなものを感じる余裕は無かった。
ここつ、ここつ、ここつ……
硬質な音が一定の間隔で鳴り響く。足音である。
音源はリョウコの革靴、そして後ろの男の靴。
この音楽が夜闇へ奏でられてもう十分は経っただろうか。
「お願いだから、曲がってよ……」
リョウコの前方には十字路が広がっている。そこで男が違う進路を取ってくれることを祈りながら、サキは十字路を直進した。
ここつ、ここつ、ここつ……
だが無情にも、音楽は止まない。
分かれ道を過ぎる度に、男は同じ進路を取る。リョウコの中で疑念は確信に変わろうとしていた。
「私を、つけてるんだ……」
夜道で男が女をつけ回す理由を、リョウコは想像して身震いする。
一度考えてしまうと、頭の中ではこれから起こることが次々とイメージされる。その凄惨なイメージのせいで、リョウコは更に震えを大きくする。
ここつ、ここつ……こここつ、こここつ……
「ひっ……」
急に背後の圧迫感が強まる。男が歩調を速めたのだ。
「いやっ……」
追い付かれてはいけない。しかし恐怖で思ったように足は動かなくなっていた。駆け出したい衝動に駆られながらも、リョウコの足はもつれそうになる。それでも転ぶことなく、危なげながらも早足で男との距離を保ったことは賛嘆に値した。
後ろを窺えば、黒い外套を羽織った大柄な男が、うつむき加減に歩いていた。その姿も距離も先程と同じ筈なのに、その禍々しさは増しているようにリョウコは思った。
その外套は夜闇に溶け込むどころか、はっきりと闇から浮きたっている。
もし今男が走り出せば、一瞬でリョウコに追い付いてしまうだろう。それをしないのは、襲う場所を窺っているからなのか、それとも獲物を怯えさせ、暗い愉悦に浸っているのか。
その時、男がポケットから手を出した。その手に握られたものを見て、リョウコは大量の冷や汗が流れ出るのを感じた。