レン-16
『もらうのが嫌なら、貸しておくだけでもいい。言っておくが、部屋の鍵にスペアはない。俺だって入れて欲しい時はノックする。』
「何処なの?」
『この近くだ。家具も揃っている。』
俺は日本駐在官として生活の中心が東京に移ってからも、当てがわれたマンションで寝泊まりをする事は無かった。その代わり、このホテルのセミスイートを無期限で借りた。
理由は簡単。INCが駐在官用に買い上げたマンションならばセキュリティは万全、その場所は非常時の避難場所として使用する為だ。
「どうしてそんなによくしてくれるの?」
『言ったろ、君は最高のパートナーだ。最高の女に投資をするのも悪くないと思った。』
彼女には張り巡らせた緊張を解く場所が必要、俺はそう思っていた。
組織での仕事をこなす間も、俺と共に過ごす間も、彼女は自らを偽る故に一瞬たりとも気を抜く事が出来ないのだ。
ならば独り体を休め、ありのままの姿で過ごせる空間を提供したかった。
「そう、いつかあなたと旅行にでも行きたいわね。」
彼女は突然そんな事を言った。
『南アフリカに、ビーチとコテージしかない小島のリゾートがあるそうだ。珊瑚礁の海と高床式のコテージで、食い物はボートで運ばれてくる。他には誰もいない。島1つを独占するんだ。』
「良いわね。」
そう言った彼女はポルシェのキィだけを抜き取り、マンションの電子キィを返した。
「車は借りるわ。けど、塒は社員になれた時、会社に借りてもらうわ。」
俺はそんな彼女の言葉を渋々受け取った。
『わかった。それから、常務に会わせる話だが。』
「会わせてくれるの?」
俺は“常務”という言葉を口にした瞬間、奴の汚い顔を思い出した。
『ただ、相当なゲス野郎だ。レイラ、きっと君と寝たがる。』
とてつもなく芯の腐った奴で、底抜けの女たらし。能無し、腰抜け、口ばかり。無駄にでかい図体で喧嘩早さを売り物にしてはいるが、実際にサシで誰かを絞めたという話は聞いた事が無い。いつもブランド物で全身を固め、車はフェラーリというとんだゲス野郎。
彼女を一目見れば、目の色を変えて大喜びするだろう。
「なら、たらしこんでやるわ。あなたの上司の常務がいなくなればあなたの出世も近付くんじゃない?」
彼女は俺の話を聞くと、挑発的な笑みを浮かべて言った。
『本気か?』
俺は真面目に尋ねた。
「本気よ。私もあなたと同じ様に総てを知りたいの。」
『じゃぁ1つ、全貌を掴む為のヒントを教えよう。組織が秘密主義を徹底するのは何故だと思う?』
「何故?」
『ダークネスを何故今まで日本国内で流通させなかったのか、ということを見落としていないか?』
「え?!」
『アゲハが現れるまでうちの会社は頑に国内流通を拒んできた。それを何故急にアゲハにダークネスを卸す事を決めたと思う?』
「アゲハに弱味を握られたとか。」
『その通り。うちの会社がダークネス密売容疑で摘発された場合、警察が最も知りたがる情報はなんだ?』
「…密造地。」
『君は頭もいい。俺はアゲハが密造地を突き止め、その秘密を守る代わりに国内流通を認めさせたと考えている。そして、更にアゲハは自分が消されない様に巧妙な保険もかけたはずだ。でなければ、密造地を知ったアゲハが生きているはずがない。』
正確に言えば、密造地を突き止めたのはアゲハの前任者である莢だろう。
彼女は言葉も無く、黙り込んでいた。
『アゲハが密造地の情報を掴んだということは、密造地が日本国内にある可能性は高い。』
俺は更に言った。
「?!?!」
驚きの表情を隠せない彼女は、ただただ俺を見つめる。
ダークネスの密造地が日本国内にあるなど、考えてもみなかったのだろう。
だがそれは当然だ。
この見解は長い時間をかけて組織に潜入した俺の最終結論だ。