ふるさと-1
「しょうちゃん、しょう兄ちゃん」
妹がまた立ち止まった。
東京にいた頃、母さんの前掛けにくるまって、絵本のカンガルーみたいに顔だけ出して甘えていた妹が今、俺の数歩後ろでしゃがみ込んで、まばらに生えた雑草をぷつぷつとちぎっている。こちらに来てから、駄々をこねる姿を見ない。
ぷつぷつと千切る短い指の動きを見ていると、無性にみじめさが押し寄せてきて俺は、頭の中と視界との間に冷たい井戸水をぶっかけるように、あわててそれを断ち切る。
「どうしたテルミ」
俺は妹を今じわじわと押しつぶそうとしている暗澹としたものを知っている。
寝苦しい夜の重たい沈黙。
真夜中にこぶしを何度も何度も胸に当てて、寝返りをうって息苦しさに悶える時の、あの苦しい時間を俺は知っている。
俺らみんなそれを知ってしまった。
それは夜にだけくるものじゃない。昼間だってぼんやりしていると風景がゆるんでそれがやってきてしまう。すると俺らは大声を出し体を躍動させ、振り払うようにはしゃぎ倒す。
やがて一日が橙に燃え尽きて黒い苦しい夜が来ると、俺は丸くなって東京の人びとのことを想う。
なんて心細いんだ。
こんなのはきっと異常だ。
俺らはまだ子どもなんだ。ましてや妹なんて、まだ数年先でいいじゃねえか畜生め。
「テルミちゃん、つかれた?」
ひとつ下の従姉妹がしゃがんで妹の指先に目を落とした。
妹は目の前の草をすべて千切りおわると一呼吸おいて、
「お母さんどっち?」
と立ち上がった。
俺は、妹に微笑んだけど、その聞き分けの良さが少し悲しかった。
やがて俺らは頂上に立って、穏やかな田舎町を眺めた。
「あ、ガキ大将だぜ、ほらあの畦道」
「東京はどっちだ」「あっちよきっと」「僕の父さんはあっちかな。南の島なんだ。」
妹が、ふるさとを唄いはじめた。
すぐに合唱になった。
東京の下町にはウサギもフナもいなかったけれど、ふるさとの歌は懐かしく、温い水のようにたぷたぷと俺を優しくひたした。
一番を唄い終えて、二番を唄い始めたとたん、声が次々と消えてしまった。
いかにいます父母
声が震えて、歌えなかった。
妹がしゃくりあげた。
誰かが大声で、お母さん、と叫んだ。
ぼくは、元気ですよー!
皆口々に家族や先生や友人の名を呼び始めた。
俺も妹を肩車して、「お母さん」と言ってみた。
口に出さないことでずっと俺のなみだを、せき止めていたその言葉を言って、そっと目を閉じた。