無名の伝記-9
「人の心配をできるやさしい子になってさ!」
「いててて!…ってーな!子供扱いすんなよ!」
「だからかしらね、周りの人もあんたを見る目が変わって認めはじめた。」
少しまた空気が変わったことにエバンは気付いた。次はどことなく淋しい表情、ころころと変わるセリカの様子にエバンは不安を覚えた。
セリカの口が開く、そこからは予想もしない言葉を綴った。
「エバン、あんたを引き取りたい…養子にしたいという夫婦がいるんだけど。」
エバンの思考は一度止まった。セリカの放った言葉が嘘のようでも彼女の表情は真剣だった。あまりの急展開に笑わずにはいられない。
「なんて…?」
「カインズ夫妻といってね、優しそうな人達だよ?たまたま療養に来ていた時にあんたを見たらしくて…。」
「承諾したのか?」
エバンの不安がセリカの言葉を遮った。とにかく結論が聞きたかった、むしろ彼女の気持ちが聞きたい。その思いがエバンの体を前に出し二人の距離は近づく。
エバンの物訴える瞳を見たあと、セリカはゆっくり首を横に振りその場から少し離れた。
それを見たエバンが安堵のため息を吐いた瞬間、彼女は再び口を開いた。それは思うよりも冷たく低い、切ない声。
「でも断りもしてないよ。」
「なんで…っ!?」
思うような反応ではないセリカの態度に反射的にエバンは声を荒げた。自分の気持ちとの明らかな温度差に感情が高ぶる。
言葉にならない思いがエバンを襲い、ただ二人は見つめ合っていた。張り詰めた空気の中、沈黙を破るのは自分の役目とセリカは悟っていた。
「これはあんたの問題だから私が口を出す事じゃない。」
「だけど!」
「あんたも分かってんだろ?それとも何かい?エバン。全部人に決めてもらわなきゃいけない程、あんたは子供か?」
その瞬間、エバンの手元にあったタオルがセリカを勢い良く攻めた。はらりと顔からはがれ落ちていくタオルからセリカの表情が現れる。
「気が晴れた?」
少しも引かない態度は余計にエバンの感情を逆撫でした。
「ふざけんな。調子こいてんじゃねぇぞ!!」
強く響いた彼の声はセリカの感情を揺るがすことができなかった。彼女は何も言わずただ彼を見ていた。
エバンは何も言わず部屋から出て行く。荒々しく閉められた玄関の扉が今の彼の心境を表していたのだろう。窓がゆれるほどの衝撃。
セリカはゆっくりと地に落ちたタオルを拾い見つめた。やるせない思い。本音を言えば、それはやがて呪縛へと変わる。
「見つけてよ…エバン?あんたが幸せになる一番いい方法を。」
タオルに顔をうずめる。かすかに香るエバンの姿が何故か涙を誘った。セリカの目から一筋の涙が流れたのは、ほんの一瞬のこと。
もちろんエバンはそんな事を知る訳もなかった。