無名の伝記-4
以前、この町に慣れだした頃にセリカが珍しく煙草を何本も吸っていた。ジェイドに住むと決める前、エバンと出会った頃はヘビースモーカーで煙草を手にしていない時間はない程だったのに、いつしか量は減り煙草を持つことが珍しいという位にまで彼女は変わった。
後で知った事だが、煙草の煙が成長に悪いのと自身の健康の為に本数を減らしていったのだという。セリカはエバンの為に自分を大切にする気持ちが芽生えたのだ。
その気持ちは嬉しさと共に誇らしかった。自分の為に何かを変えようとしてくれる人がいる、自分にはその力がある。
不慣れな町で生きていく為に動き回って、そのストレスで再びセリカがヘビースモーカーに戻りつつあった時。エバンの一言がセリカを救った。
オレも働くから。
その時のセリカの照れた笑顔をエバンは忘れられず、大切にしていた。セリカには自分がいなくてはいけないという、心地いい責任感が今のエバンの誇りだった。
そしてまた珍しくセリカの情緒不安定のサインが出た。今度も自分が守ってやらなくてはならない、エバンは強い気持ちで構えることにした。
しかし、夜になって夕飯を共にしている時にはセリカは元に戻っているようだった。夕飯を終えた後も煙草に手がいく訳ではなく、コーヒーを飲みながらエバンが配達した夕刊を読んでいた。
普段と変わらない風景、ほんの気分転換だったのだろうか。エバンはいまいち腑に落ちないながらも、明日の為にいつも通り早くベッドに入った。おやすみと笑うセリカの姿もいつもと変化は見られない。
エバンの部屋の扉が閉じた瞬間、セリカの笑顔は消えていた事をエバンは知る由もなかった。
セリカはしばらくの間、エバンの部屋の扉を見ながら動けずにいた。やはり朝のシドの話が頭から離れない。
エバンを養子にしたい人がいる
本来なら喜ばしいことなのだ、以前はそれを心待ちにしていたことなのだ。
エバンとセリカが初めて出会ったのは雪が降り積もる息が凍るほど寒い冬の日だった。人として、決して許される事のない仕事にセリカは手を染めていた。
セリカにはそれしかできなかった。
真っ白な雪で包まれた景色の中に、セリカが作り出した赤い景色は異質なものだった。やるせなさや、虚無感から虚ろ気に煙草を吹かす。煙草の白い煙でさえ雪景色に溶ける事無く、世界すべてがセリカを拒んでいるようにも感じた。
もう、いいだろう。
意味がない。
口元にあった手をゆっくりと下ろし、反対側の手の中、この異質な赤い景色を作り上げた物でセリカは自分の赤色で染めなおそうと決めた時だった。
さくっ…さくっ…
雪道を音を立てながら歩いてくる少年が目に入った。この季節に似付かわしくない薄手の服、大きな紙袋を抱えて彼はセリカの方に歩いてくる。紙袋の中はくたびれた果物や、くしゃくしゃになった新聞紙が見えた。きっと拾ってきたのだろう。