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無名の伝記
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無名の伝記-3

シドが帰った後も、もちろん頭からその事が離れなかった。今では滅多に吸わなくなった煙草に火をつけ、深く肺まで吸い込み体にめぐらせる。全てが落ち着く瞬間だった。

半分ほど吸ったところで火を消し、灰皿に無造作に乗せられた煙草の存在は部屋に異質なものになった。階段を元気良く駆け上がってくる音が聞こえる。

「ただいま!腹減った!」

勢い良くドアを開けると共に、エバンの声がそれまで包んでいた部屋の空気を塗り替えた。いつもの朝、いつも通りの毎日が始まろうとしている。

「おかえり、エバン。お疲れさま。」

エバンを迎えると、セリカは台所に向かい朝食を用意し始めた。汗かいた服を着替える為エバンは自分の部屋に向かい数秒で帰ってくる。

テーブルには既に冷たいミルクが置かれ、エバンは勢い良く飲みほした。サラダ、焼きたてのパンにベーコンエッグが次々とエバンの前に並び、立派な朝食が出来上がった。

「お前さ、いい年なんだから…いいかげん、ああいうの止めろよな?」

「覚えときな、私は薄化粧なんだよ。」

 エバンに朝ご飯を食べるように促して、出掛ける前の最終チェックを鏡の前で行なった。確かに彼女の化粧は薄く、元がいいからかそれでも良く映える顔立ちだった。

 彼女を見て一番目に止まるのが丁寧に手入れされた指先だった。

「今日もいい感じ。」


がむしゃらに食べるエバンを見ながら身仕度するのがセリカの日課だった。微笑ましい光景が今日は切なく感じる。

「仕事に行ってくる。エバン、学校に遅れるんじゃないよ?」

「うるせ。早くいってこい。」

いつものように憎まれ口をたたく。これがエバンなりの愛情表現である事をセリカはもちろん知っていた。

セリカが出ていった後、いつもの彼女らしくないことにエバンはなんとなく気付いていた。目の端に移るのは、窓際にある灰皿。

今では脅し目的以外で滅多に使われない灰皿がある。しかも中には吸い殻があり、灰皿の役目を果たしていた。流しには来客用のマグカップが見える。

「誰か来たのか?」

もう一度灰皿に目を向けてみた。やはりそれは違和感しかない存在。

「何か…あったかな。」

エバンの中に生まれた小さな不安は、以前にもあった出来事を思い出させた。


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