無名の伝記-2
「朝ご飯できてるよ。早く仕事終わらせな!」
深呼吸をして笑顔でセリカは手を振った。それに対してエバンも微笑み手を挙げると、すぐに仕事に戻っていった。次からの一件一件はお詫びも兼ねての配達になる。これがいつもの朝の景色だった。
エバンの後ろ姿が遠くなったのを確認すると、セリカは窓から乗り出していた体を引っ込めて部屋の中の人物に目を合わせた。
「悪かったわね、話の途中で。」
中に居たのはシワも深く刻まれた老人だった。立派な髭が口元を多い、それだけで貫禄を見せている。
「なに、わしかて朝早くにすまんの。」
「いいのよ、シド。」
シドと呼ばれた老人は微笑み、目の前に置かれていたカップを口に運んだ。まだ立ち上がる湯気がコーヒーの温度を知らせている。セリカはカップを手に取り、身を乗り上げていた出窓に腰を掛けた。
「お前達もずいぶんこの町に馴染んだな。お前達の喧嘩は今ではすっかり町の名物になっとる。」
「そうね。ここに来てから一年半、私もあの子もこの生活が当たり前になってるわ。」
「いくつになるのかの?」
「私は22、あの子は14になるはずよ。」
そうか、と呟きシドは再びコーヒーを口に運んだ。らしくない会話や態度にセリカは何だか気持ちが悪く笑ってしまった。
「なぁに?どうしたのよ、突然。」
「いや、なに…。若い若いと思っていたが、やっぱりお前達は若いな。」
「ええ、そうよ?私はまだまだ若いわよ。」
実の兄弟でもなければ実の親子でもないセリカとエバン。世間から見れば異質な組み合わせにシドを始め、町の人間は暖かく迎え入れてくれた。
セリカは町の暖かさを今でも毎日感じていた。本当に感謝していると、改めてもう一度呟く。
「若いお前達が来てくれて町にも活気があふれた。わしらこそ感謝しておる。」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。それで?話は何なの?」
「…エバンの事、なんだがな。」
セリカが話を戻した瞬間、明らかにシドの持つ空気が変わったのが分かった。いつにない雰囲気にセリカの気持ちも引き締まり、保護者としての顔になる。
「なんかやらかした?」
「いや、そうではない。」
最悪の予想をまぬがれ、セリカはホッとした表情で答えを受けとめた。その態度からしてもセリカのエバンに対しての気持ちが伺え知れた。
「エバンを、引き取りたい。養子にしたいという夫婦がおる。」
シドの声が一瞬にしてセリカの世界から音を奪った。鼓動がやけに響く。
「え?」
それがセリカに出せる精一杯の反応だった。