無名の伝記-18
「おはようこざいます。今日セリカさんも発たれると聞いて…これ、つまらないものですけど受け取ってください。」
片手にかけていた編み籠をエマは差し出した。遠慮するわけにもいかずセリカはお礼を告げて受け取った。少しだけ蓋を開けてみると何やら軽食が入っているようだった。
これからエバンが食べていく料理、セリカは何とも言えない淋しい気持ちを感じる。
エバンは荷物を手に取り、カインズ夫妻を見た。そしてセリカに向き直し微笑んでみせる。
「じゃあ、オレ行くわ。」
言葉にならずセリカはほほ笑み、何度も頷いた。エバンはゆっくりと右手を差し出す。それに気付いたセリカは右手を差し出し、二人は握手をした。
「元気でね。」
「ああ、セリカも。」
二人は固く握手をし、やがて力なく解けていった。その手はいつしか別離への入り口にかわった。
セリカの肩の辺りでぎこちなく振り続ける手、カインズ夫妻と合流したエバンは振り返る事無く歩き始めた。
少しずつ遠ざかっていく姿、セリカはさよならの手を止め車に荷物を押し込み乗り込んだ。リクライニングを深めにとり、思わずうつむいてしまった。しっかりと握られたギアとハンドル。体は前に進もうとしている、あとは心だけだった。
顔をあげ、ニュートラルになっているのを確認したあとエンジンをかけた。
ゆっくりと発進する。思いの外少しの切なさで別れは終わってしまった。そうセリカは感じていた。次第に見慣れた風景も横を流れて後ろになっていく。
そんなに悲しくはなかった。でも何となく気持ちが落ち着かなくなり、ジェイドの街を出た後車を停めた。
滅多に出ることのなかった街の外、久しぶりに外から見る街の景色はどこか他人行儀だった。何か感じる違和感、セリカは荷物の中から煙草を取り出して外に出た。
真っ青な空に白い雲はわずかしか流れていない。まさに良いお天気だった。
セリカが作り出した「雲」でさえも溶かしてしまう。一口吸って吐き出す、また一口吸って吐き出す。ふいにセリカが見上げていた空は歪みだした。
淋しい訳じゃない。むしろその感情は悔しさに似ていた。目にためた涙を流すことは許さなかった。
高ぶる気持ちを押さえるために深呼吸をする。
「セリカ。」
背後から声がかかった。これは空耳だろうか?もう決して聞く事の叶わない声が聞こえた気がした。
全てを疑いながらセリカは振り返る。やはりそこに彼はいた。
「エバン?」
「よかった、まだ近くにいた。」
「あんた、何やってんの?なんでここに?カインズ夫妻は?」
急な出来事にセリカは思いつくもの全てを言葉にして吐き出した。明らかに動揺している、何故ここにいるのか分からなかった。