気にしない足跡たち-6
「杉浦さん」
「寒いな。中に入ろう」
杉浦は谷町の言葉を流して、部屋に戻った。消えて行く雪に背を向けて。
谷町も続く。寒いからと着たままだったコートを脱ぐ。
「杉浦さん」
「助けてくれる奴なんか、居ないんだ」
炬燵に足を入れて、杉浦は云う。のどかな光景と彼の言葉は、大きくずれている。
「結局はな、喧嘩だよ。死刑廃止も擁護も、つまるとこ感情論だろ。死刑は嫌だ、死刑はあった方が良い。理由はな、気に入らないか気に入るかだ」
一つ息をついて、杉浦は酒を飲む。
「道があんまりにもないんだよ。更生だの秩序の回復だの、被害者の気持ちだの、いっぺんに何とかなる訳ないだろう」
睨むように谷町を見ると、杉浦は溜め息を吐いた。
「言葉なんて通じねぇ、気持ちも通じねぇ。俺の娘の事件だって、みんな忘れてく。そんな事あったか、それだけだ」
「でも僕は、嫌なんです。黙ってるのが嫌なんです。どうしても」
人は変わらずに人を見捨て続け、助けを求める人を生贄にして悪意から逃げようとしてばかりだ。
その中で苦しみ続ける人を見つめているだけなのは、谷町には我慢出来ない。
この世でそう思うのが自分一人だけになっても、谷町は悪意をそのままにはしておきたくなかった。
杉浦は、ゆっくりと顔を外に向ける。
「忘れたくなかった。でも、娘も女房も、声を忘れちまった」
もう何年も経っちまったからな―――寂しげに呟くと、杉浦は炬燵板を見つめた。自分の顔が映る。
そこには老いた父親が居た。
「あの子は、どんな声してたかな。もう覚えてねぇんだ」
あの日から、思い出したくないのに忘れられないあの日から―――聞いていないからだ。
「どれだけ、頭が擦り切れるくらい悩んで考えても、俺には思いつかない。救われる方法が解らねえ」
杉浦は、谷町に向かって笑みを浮かべた。
「忘れられたら楽だ。他人だったら楽だった。可哀相にね、って薄ら笑いで話せば良いだけだし、後の事なんか考えないで判決を出せば良い。それだけだ」
「他人だって、他人だって杉浦さん―――」
悲しいです、と谷町は云いたかった。けれど言葉が出て来なかった。
谷町の娘も息子も、帰れば家に居るからだ。
杉浦の娘は―――もう、何処にも居ないけれど。