気にしない足跡たち-3
「死ねば償える訳じゃない。生きてて欲しかないが、自殺されると逃げられた気分になる。それも嫌だ」
答えなんかねぇんだよな―――諦めを重ねて来た杉浦は、そう云う。
「被害者だって、被害に遭った犯罪により環境により―――求めるモンが全然違う。犯人は絶対死んで欲しいと思う人間も居れば、死刑は嫌だと思う人間も居る」
「そうですね」
「だから、こうだって決められねぇんだ。みんな違う。報道に対する考えも、裁判に対する考えも」
誰かにとっての救いが、誰かにとっては身を灼く火になる事もあるのだから。
「だってよ、先生。忘れたいと願う強姦の被害者に、社会の為ですと告訴を勧めるのは、いつも正しいか?みんなが出来る事か?」
俺なら出来ないと杉浦は云う。
「他人を救うかも知れなくても、娘を傷付けたくないんだよ。裁判も警察も残酷なんだよ」
セカンドレイプの問題は、谷町も常日頃気にしている事だ。
刑事だった谷町は、冤罪の案件を思うと一概に被害を受けたと云う主張をすぐに信じるべきではない、とも思う。
恋愛関係のもつれからありもしない犯罪被害を訴える人間が居るのもまた事実ではあるし、極端な例では強制猥褻の被害の全てが妄想だ―――と云うものもある。
騙されぬように、流されぬように冷静に判断しなければならない―――人間は、専門家すら騙せる程狡猾でしたたかだ。
だからと云って、事実被害に遭った人を傷付けても良いと云う事ではない。
冷静な判断、的確な対応―――常にそれを求められるべきなのが司法だ。それが務めなのだ。
情を介さず厳格であるべきが法律ならば、司法もそうでなくてはならない。
云い訳も誤解も偏見も間違いも何もなく、厳格で厳密でなくてはならない。
出来ないなら―――いや、そうあるべきと思わないなら―――法律とは、司法とは裁判とは、一体何なのだ。
谷町はそう思う。
ただ問題は、司法にばかりある訳でもない。
配慮の足りない普通の人々の中で暮らして行くのは、被害者にとって大変な苦労だ。
世の中の人々は、強姦を軽く考える。怖いからだ。
被害者に非があったと思いたがる。恐ろしいからだ。
大した事はないから、すぐに立ち直れるだろうと思う。不安だからだ。
被害者の抵抗が足りない所為だと思う。恐怖を知りたくないからだ。
見たくないものを、人は決して見ない。認めない。無視しようとする。
だから、人は傷付いて、死んで行く。