気にしない足跡たち-11
*
墓の前に佇む谷町に、雪が降る。
杉浦雄三が死んでから三年が過ぎた。
彼は幸せだったろうか?石を見つめながら谷町は思う。
それは杉浦にしか解らない事ではあるけれど、谷町は考えずにいられない。
この世から不幸はなくならない。人の価値や命など紙のようなものだからだ。
握ればすぐに形を変えてしまう。
誰かにとって世界よりも大切だと思える人は、誰かにとっては屑よりも価値がない。
人は脆いから、守るのは大変だ。
皺を消すのは困難だ。
元通りにはならない事だらけだ。
握り潰す事は、悪意の持ち主にとっては酷く容易い事だと云うのに。
「杉浦さん。人は変わりませんよ。この世は不幸だらけです」
石に触れて、空を見上げた。
雪が舞い落ちては消えてゆく。
命と同じように。
「杉浦さん。天井をガラス張りにして金魚を飼った人が居るんですよ。大阪かどこかのお金持ちでね―――テレビで見たんです」
きらきらと、金魚が泳ぐ―――手の届かない頭の上を。
「杉浦さん。僕は天井を泳ぐ金魚が娘さんに思えてならないんです」
当たり前に、目に出来る金魚が天を泳ぐと―――。
「いつも当たり前に目にしていたのに、途端に手に出来ないものに感じる。泳ぐ場所が変わると云うのは凄い事です」
もう、手は届かない―――。
「杉浦さん。娘さんと奥さんによろしくお伝え下さい」
雪の降る中、谷町は墓をもう一度撫でて墓地を後にした。
家の水槽に居た金魚が、天井を泳ぐ。
家の水槽は寂しさで水を澱ませる。
「杉浦さん。時々考えるんですよ。貴方は僕の事も心の奥では―――」
憎んでいたのではないですか?
彼女を救えなかったから。子供が死んでいないから。
―――幸せに見えた筈だから。
答えはない。消えた雪は巡るだけで答えなど遺さない。
谷町は遠ざかる寺を振り返った。
雪の中、答えもなく何もない。
ただ、静かに命が消えて行くのを見守るだけ。