逆転のプール-1
「わあ、キレイ！」
薄いピンク色の水着を身につけた平生夏奈（ひらお かな）は、眼下に見える街を眺めながら呟いた。
「だろ？ だろ？ キレイだろ？ オレが見つけたんだぜ！」
夏奈の横にいる海水パンツをはいた男が、景色といっしょに自分も気に入ってほしいと、一生懸命アピールしている。
「うん。とっても素敵。ありがとう、マサくん」
貝殻がついたイヤリングを揺らしながら、夏奈が男のほっぺたにキスをした。男は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにだらしなく鼻の下を伸ばした情けない顔になる。
二人はプールに来ていた。まだ夏も始まったばかりで客はあまりいない。しかし全くいないわけではなくそれなりに混んではいるのだが、それでも彼らがこんな二人の世界に浸れるのには理由があった。
二人が景色を眺めているのは、ウォタースライダーのスタート地点の高台だ。普通ならたくさんの人が並んで順番を待っているけれど、今はだれもいなかった。実はこのスライダーは現在点検中で、使用禁止なのである。
「ねえ。記念写真撮らない？」
「い、いいね。撮ろう」
男は言いながら、カメラを取り出そうと海水パンツのポケットに手をやった。けれど、そこにカメラはない。
「あ、しまった。カメラ、荷物といっしょに置いてきちゃったんだ」
えー、と夏奈が不満そうな声を上げた。
「そんなあ、残念」
彼女が本当に残念そうにしているのを見て、男は慌てて言った。
「あ、ちょっと待ってて？ すぐに取ってくるから」
彼女をそこに残し、男は階段を降りた。
（全く、カナのヤツ、可愛いなチクショー！）
男はさっきのキスの感触を思い出してほっぺたをさすりながら、だらけきった顔でプールサイドを歩いていた。手には使い捨てカメラを持っている。
（それにしても、おそくなっちゃったな。カナ怒ってるかな）
思いながら少し歩調を早める。カメラを探すのに手間取って、すでに３０分以上経ってしまっていた。
さっきのスライダーは、プール場内のすみに設置されている。男は恋人の待つそこに急いでいたのだが、途中ふと気になるものを見つけて足を止めた。
少し離れたところに、妙な人物がいた。もう初夏だというのに、しかもプールサイドで、コートを羽織っている。けれど男が気になったのはそれだけではなく、なぜかその人物には見覚えがあった。
（あれ？ だれだっけ？）
男は少し悩んだが、思い出せない。すぐに諦めて再び歩き始めたが、また足を止めた。その人物が、自分のほうにむかってきたのだ。
（え？ なに？ なんで？）
わけがわからずにうろたえる。だがもし男がその人物についての思い出を思い出していたら、うろたえるどころではなかっただろう。
「所轄署の糸鋸圭介（いとのこぎり けいすけ）っス」
「へ？」
糸鋸と名乗ったコートの男は、警察手帳を見せながら言った。
「殺人事件があったっス。アンタ、ちょっと署まで来てもらうっス」
「へ？ へ？ へ！？」
「さあ、行くっス！」
「えー！？」
男は――矢張政志（やはり まさし）は、こうして生涯二度目の、殺人事件の容疑者になってしまった。