逆転のプール-5
「人には“記憶違い”があるものです。……実は、まだいるのですよ、目撃者が」
(な、なんだと!)
またイヤミな微笑みを浮かべて、亜内検事は言った。
「現場の高台には、階段のとちゅうに防犯カメラがあるのですよ。通った人間は、すべてチェックされる。もちろん! 記録では事件当日、階段を使った人物はいない。被害者と、被告人をのぞいて!」
「そんなぁああ!」
なにかで殴られたようなショックを受けた。心の中に、絶望が広がっていく。
「そ、それは本当ですか! 亜内検事!」
「これをご覧ください裁判長。当日のカメラの記録です」
亜内検事の提出した資料は、確かに矢張と被害者以外の人間が、階段を使用していないことを示している。
反論が思いつかずに、ぼくは黙るしかなかった。
(……ムリだ……。矢張以外に、犯行ができる可能性はない……。…………もう、終わりなのか?)
「成歩堂ぉ……!」
矢張が泣きそうな声でぼくの名前を呼んだ。その表情は、不安でいっぱいになっている。
(……そうだ。いま一番不安なのは、コイツなんだ。ぼくが諦めてどうする!)
「待った!」
(とにかくいまは、ハッタリでも審理を続行させるんだ!)
「その、カメラには死角はなかったんですか! 例えばカメラの真下とか」
フッフッフッ、と独特の笑い声がした。
「カメラは全部で三台、設置されていました。死角など……」
「で、でも!」
「裁判長! これ以上審理の必要はありません!」
「……そのようですな」
裁判長が木槌を振り上げるのを見て、ぼくは慌てて言った。
「待った! ま、待ってください!」
「往生際が悪いですよ、成歩堂くん。それとも君は、カメラに写らずに階段を昇ることができるとでもいうのですか!」
そのとき、ふとなにかが頭に浮かんだ。ほんの少しだけれど、事件解決の糸口になりそうな、なにか。
法廷記録から、ふたたびスライダーの写真を取り出した。奥に写る高台。一番上は家状になっているが、階段はむきだしである。
(階段?)
「……やっぱり、これ以上の審理はムダなようですな」
裁判長が、ついに木槌を上げ、それを振り下ろした。
「異義あり!」
裁判長席、検事席、傍聴席、被告人席、証言台、全てが一斉に沈黙した。全員がぼくに注目する。閉廷を告げる木槌の音より一瞬早くあがったぼくの声は、驚くほどよく通った。
「弁護側には、異義があります!」
「な、なにをぉっ!?」
今度は亜内検事が、声をあげる番だった。
「亜内検事、あなたはこう言いましたね。『カメラに写らずに階段を昇ることができるとでもいうのですか』と」
「い、言いました」
亜内検事は冷や汗をかいている。その表情も、まるでさっきまでのぼくだ。
「確かに、カメラに写らずに階段を昇るのは不可能だ。けれど、階段を使わないことは可能なんです!」
「なんですとぉー!? では、どこから昇ったというのですか!」
「それは、ここです」
現場写真の、問題の場所を指し示す。それは高台の骨組みでもなければ、もちろん階段でもない。
「……これは、すべり台、ですか」
「ええ。ウォータースライダーです」
「まさか……!」
「そう! 犯人は、ウォータースライダーを逆から昇っていったのです!」
「異義あり!」
亜内検事が叫んだ。