聖なる夜に…-1
30階はゆうに超える高層商業ビル群が立ち並ぶ。その中のひとつ、佐藤物産の入る1フロア。就業時間をとっくに過ぎた広く暗いオフィス。寒々しい光景の中、一部にだけ明かりが見える。
そこには、モニターに幾層にも映し出された情報に目を通し、コンソールを叩く男の姿があった。
上条敦。入社5年目。大学時代は情報技術部に属し、入社後に配属された部署も情報システム部システム管理課に所属する。彼の仕事はパソコンの"よろず家業"で、パソコン本体の修理、取付や部品交換。挙句の果てにはプログラミングなどやらされる始末。
[まったく!いくらオレの担当が"シス管"だからってこんな時間まで働かせやがって]
敦は半ばクサりながら、社内のアクセス設定を入力していた。
パソコンの電源を切って高いビルの窓から下界を見下ろすと、カラーフルな様々な原色が一面を瞬き、その中を人の河が流れている。まさに日本らしい"聖なる夜"だ。
[さてと、オレもそろそろ"あの中"に混じるか]
上条はそう言うとコートとカバンをを持ってオフィスを後にした。彼はエレベーターで"下界へ舞い降りる"とそのまま地下駐車場に降りる。
誘導灯によりかろうじて分かる程度の暗さの中、彼は慣れた歩みで1台のクルマの前に出てきた。
"フィアット・チンクェスト(500)"彼の唯一の趣味だった。丸っこいボディは軽自動車より二廻り程も小さい。
クルマに乗り込むと、イグニッションを回す。"クシュンクシュン"という音と共にリアに積まれたエンジンが目を醒ます。"バラバラバラバラ"と高いアイドリング音をあげる。
上条は、コートを着たままで乗り込んで寒さに耐えながら、コラムシフトをロォに入れて駐車場から聖なる夜の街中へと走り出した……
[沙耶!いい加減にしなさい。いつまでメールやってるの!]
母の香織はヒステリックな声をあげて娘を叱りつける。
父親の敬済は"ほどほどにしろよ"とあまり気にも止めずに食事を続けていた。
沙耶は不機嫌な顔をしながら母親の注告を無視してメールを続けていた。その時、香織はスッと立ち上がると勢いよく平手で沙耶が携帯を持つ右手を叩いた!叩き落とされた携帯は滑るように床に転がる。
[何すんのよ!]
沙耶が母親に喰ってかかる。が、母親はそれ以上に大きな声で、
[言う事が聞けないなら携帯は取りあげるわよ!明日、解約するから]
黙ったまま香織を睨み付ける沙耶。香織は追い討ちを掛けるように、
[買う時の条件は"言いつけを守る"だったわよね沙耶]
沙耶は助けを乞うように敬済を見つめるが、"約束は厳守だよ沙耶"と静かな口調で語るだけだ。
沙耶には逃げ場や安らぎが欲しかった……だが、ここには無かった。
[…ごめんなさい……]
消え入るような声で沙耶は答えて、床に落ちた携帯を拾うと自室へと消えて行った。
沙耶はベッドに寝ころぶと、携帯を開ける。電源が入り、待受画面になる。どうやら壊れてない。ホッとしながら沙耶は伝わる涙を堪え切れない。
……いつからこうなっちゃったんだろう……大好きだった父、母……今じゃ遠い存在……私を盆栽のようにいじくりまわそうとする……私の中の"私"が少しづつ否定され死んでいく……
"死"……一瞬、彼女の中に流れた言葉。しかし、すぐに否定しつつ、
[死ぬ前にやりたい事やらなきゃ]
と思いながら、沙耶は携帯と財布をポケットに入れて夜の街へと消えて行った……