カオモジ(後編)-1
背中に、冷たいものが走った。
静まりかえった部屋に、やけに心臓の音が大きく響く。
部屋の中には、私以外にはだれもいない。
でも今確かに、私は声を聞いた。聞き間違えようのない、アイツの声だ。
「…いるの…?…どこ…?」
震えて声がうまくでない。口の中がやけに渇いていて、それだけ言うのが精一杯だった。
私の声は、音のない部屋に響いて、消える。けれど、アイツの声は聞こえてこない。
(…………気のせい、だった、の?)
だいぶ長い時間をかけて、私はそう思った。
怖いと思っていたから、そんな空耳が聞こえたんだ。第一、アイツは私の部屋の鍵なんか持っていないはず。
とにかく冷静になろうと、無理矢理気を落ち着かせる。血液が冷やされたように体温を失っていた体も、少しずつ温かさを取り戻していった。だが、
バンッ
なにかがベランダのガラスを叩く音がして、ふたたび全身の血の気が失せた。
心臓が、破裂しそうなほど鼓動する。
バンッ
「ひっ!」
サビついたみたいに動きの悪い首を、恐る恐るベランダのほうへ向けた。
カーテンの隙間から、外の様子が窺える。
見たくないと思いながらも、視線がそこへむかってしまう。
そこには…。
『無駄だよ〜(〇^艸^)クスクスッ』
私は反射的に携帯電話だけを掴んで、玄関を飛び出した。
とにかく、逃げた。あの部屋にはとてもいられない。
どこに向かっているのかもわからず走り続けて、私はいつの間にか、家からは少し遠い児童公園にいた。
…カーテンのむこうの、暗い影の中、そこには、なにかが、いた。
ちょうど人が屈んだくらいの大きさの、なにか。
そして、そのなにかには、眼が二つあった。
その眼は私がベランダへ視線をむけるずっと前から、私を見ていた。
そしてあの時、そのなにかは、
アイツは、たしかにニヤッと笑った。
一気に走ったために、息が大分あがってしまっている。私はベンチに座り、まだ震えがとれない手で携帯電話を操作した。
アドレス帳からマキの番号を探す。非常識な時間だけど、そんなことを気にしてられる状況じゃない。
やっとのことで電話をかけ、耳に当てる。
コール音の一つひとつが、やけに長く感じられた。
(お願い…!マキ…、早く出て!)
三回目のコール音が鳴り終わったとき、それが途切れた。そしてその代わりに、受話器のむこうから声が聞こえてくる。
「…もしもし」
私は安堵のあまり涙が出てきた。
「マキ…!マキィ!お願い、助けてえ!アイツがきたの!ベランダに入り込んでたの!お願い…。かくまって…」
ほとんど一気に言ってしまってから、ふと、頭のどこかで疑問が浮かぶ。
…マキの様子が、おかしい。
瞬間、私は最悪の予感を感じる。
電話の相手は、私が口を閉じたのとほぼ同時に、言った。
「…………無駄だよ〜…」
ほとんど無意識のうちに、私は携帯電話を切った。
絶望感が、心を支配していく。
そのとき、メールが届いた。
そのアドレスには、私の名前が含まれていた。
『題名:殺してやる\(゜∀゜
本文:
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜
殺してやる\(゜∀゜』
「殺してやる」
後ろから、声がした。