「なぁなぁ」-2
そんな彼女が、キッチンの向こうから俺を見ていた。
香子の小さな肩も腹も、胸もうなじも白すぎて、どうしてこれで彼氏が出来ないのか疑問だった。
だが、俺は知っている。
彼女は叶わぬ恋を、しているだけだという話。
「んー?」
もう二度と使わないっすよねと、笑いながら仕舞ったコーヒーメーカーを手に、香子は轢いた豆を入れ込んでいく。
その手馴れた手付きに対して、香子はコーヒーが嫌いだった。「コーヒーを淹れるのは一人の好きな男の為だけっすから」と彼女は言った。
二ヶ月前、俺がこの部屋に訪れた最後の日も、彼女は同じようにコーヒーを淹れてくれた。普通より豆が多くて、少し苦くて、でも旨かった。
「かこのとこに居て、いいんすか?」
香子が、珍しく俺の確信を突いてきた。俺は思わず押し黙る。
どう説明したらいいのか。
例えばそう、お前が忘れられないとか、居ても立ってもいられなくなったとか、それでも俺はあいつが好きなんだとか。
どう考えても、馬鹿な話しか出来そうになかった。
だから、黙る。
俺からは何も出てこない言葉に、香子は特に気にする様子もなく、ただ黙ってコーヒーを作っていく。
俺はただ、ベッドの上で香子の仕草を見続けることしかできなかった。
「どうぞ」
香ばしい匂いを持った香子が、淹れ立てのコーヒーを差し出してきて、俺は礼を言って受け取った。
「ん、さんきゅ」
香子は自分用のホットミルクを持っていて、俺の隣に腰掛けた。二人分の体重を支えるベッドが、ぎしりと鳴る。
ふと、そのマグカップが前まで使っていたカップとは違うものだと気付く。あれだけ気に入っていたのに。
俺は少しだけ不思議に思って、カップを凝視する。
「前のカップ、壊しちゃったんす」
俺が尋ねるより早く、香子が小さく頭を下げてきた。俺は「そうか」とだけ返して、カップに口をつけた。
香子のカップも、前のものとは違う、ごく普通のカップだった。
これくらい、いいっすよね。
二人が繋がってしまった最初の日、香子はそう言って、嬉しそうにお揃いのマグカップを買っていた。
俺がもうここには来ないと告げた日に、彼女が淹れた最後のコーヒーはやたらと冷めていて、まずかったのを覚えている。
そう、俺は言ったはずだった。
もうここには来ないと。
「迷惑か?」
だから俺は、香子に尋ねた。
小さな肩に手を回して、香子の横顔を眺める。拒まれたら、それで踏ん切りがつくかもしれない。
そんな懺悔の気持ちもあった。
迷惑っすよ、なんて言葉を、俺は予想した。
「酷いこと、言いますねぇ」
香子はそういって、俺に優しい笑みを浮かべてくる。
その瞳は潤んでいて、俺の心を抉りつけた。
俺のモノが、香子の中に入れたくて堪らない。そんな愛しい笑みだった。
「嬉しくて堪んないっす」
これだ。
香子は俺と違って嘘をつかない。いや、本当はつくのかもしれないが、俺の心に反することを決して言わないんだ。
絶対に、誰が何と言おうと、香子はいい女だ。
俺が保証する。
香子は、本当にいい女なんだ。
だからそれを利用して、身体を奪い、心を乱すこの俺は、最低で最悪な野郎なんだ。
「かこは、別にいいんすけど」
俺の胸に、香子が擦り寄ってくる。俺は持っていたカップをベッド脇に置いた。香子もそれにならって、カップを置いた。
隣り合う二つのカップは不揃いだった。
香子の瞳が、俺の目を見つめ続けている。俺は顔を背けられなかった。