綺麗な人。-1
「…はぁ〜」
思い出すのはあの彼女の寂しそうな顔。
キャリアウーマンで、何でも器用にこなす彼女の、あの表情。
入社してから初めて、彼女の弱気な顔を見た。
「…俺だったらそんな顔させないのに…」
タクシーの外、流れる景色を見ながら、そうこぼした。
隣にあった、彼女の温もりに想いを寄せて。
―綺麗な人。
『初めまして。今日から君の教育係になりました、稲守 千晴(いなもり ちはる)です。』
初めて彼女に会ったのは、入社してすぐのことだった。
いかにもキャリアウーマンです、というような出で立ちに思わずため息を溢しそうになった。
(うわ-…嫌な人が教育係になったなぁ)
第一印象は、仕事にも自分にも厳しい人って感じ。
正直、2歳しか変わらない彼女に、教育されるのは嫌だった。
女だし。
カッコ悪いじゃん。女に教育される男って。2つしか変わらない女に、先輩面られるの、男のプライドとしては避けたかった。
『どうも、山崎 太一です。宜しくお願いします。』
嫌々頭を下げると、彼女はむっとして、俺にくれるであろう資料で頭を叩いた。
『いてッ』
顔を上げると、彼女は笑っていた。
『今、女なんかに教育されたくないって思ったでしょ?』
『え…』
『君、顔に出過ぎ。』
彼女は手で口元を抑え、クスクス笑った。
『なッ…君じゃなくて、山崎です!!』
急に恥ずかしくなって、別に怒る事じゃないのに声をあらげてしまった。
だって、何か大人の余裕を見せつけられたみたいで…自分がすごく餓鬼に思えたから。
『ごめんごめん。これから宜しくね、山崎くん。』
彼女はスッと俺に右手を出した。
『あ…』
笑った彼女は、とても綺麗だった。
その笑顔に見とれて少し反応が遅れてしまったが、彼女は俺が握手するまで、せかすことなく手を差し出していてくれた。
『じゃあ早速、仕事教えるね。』
彼女はやっぱり厳しい人だった。
(見たまんまの人だ…)
自分に妥協はしない。勿論相手にも妥協させない。
『…死ぬッ』
俺は毎日毎日、仕事の基礎を叩き込まれた。そりゃあもう、しごかれて死にそうなくらいに。
覚える事は山のようにあるのに、全く覚えられない。
『…俺って馬鹿だったのかな…』
仕事も効率が悪く、毎日残業。
溜め息しか出なかった。
『…また残業か…』
俺は溜め息をついて、コロッケパンをかじった。
『こらッ、そんな物ばっかり食べてると太るよ-。』
『いてッ』
背後からこずかれて、振り返ると、稲守先輩が立っていた。
『稲守先輩…』
『頑張ってるね。』
俺のデスクの上の資料の山をみて、そう言った。
『いえ…ただ要領が悪いだけですから…』
何だか情けなくて、稲守先輩の顔を真っ直ぐ見れない。
(ちゃんと教えてくれるのに…情けない。)
『…まぁ、入社1年目はこんなもんよ。』
私も山崎くんみたいな時期あったからさ、と先輩は言って、俺の横に椅子を引き寄せて座った。