銀色雨傘X-3
翌日、気象庁が梅雨明け宣言をしたその日にも、雨雲が退く様子はなかった。もう一ヶ月近く、青空は雲の上に隠れている。しかし咲貴には、そんなことはどうでもよかった。もし自分が美咲と会えるならば今日が最後の機会だ。雨が降り止めば、彼はもう咲貴のもとには現れないだろう。何の論拠もなかったが、咲貴はそれを確信していた。
夏の移行への最後の抵抗のように、その日は特に荒れた天候となった。朝は不自然なほどの沈黙を保っていた空が、昼近くになると突然の驟雨をもたらした。咲貴は雨の中、駅を出る。今日は休日で学校は休みだが、それでも咲貴は朝からここへ来た。待てば、あの銀色が現れるかと期待してのことだったが、普段より少ない人の流れの中に美咲を見出すことはできなかった。今日が最後とは分かっていたが、美咲はどこに現れるのか。咲貴には二つしか思いつく場所がない。あの家ではない、という感覚は今もする。しかしそこ以外、行くところはなかった。大粒の雨は路上に跳ね返り、ズボンの裾を冷たく濡らした。
美咲の家への道を歩いたつもりだったのに、咲貴は昨日の川辺へ出てしまった。相変わらず重い音を立てて流れていく。川幅はそれ程広くはないが、それだけに流れは速そうだった。なんとなくそれを見やるうちに、咲貴の視線はあるものに釘付けになった。それは調度、上流から流されてきたところだった。花びらのようだったそれは、近づくにつれ白い花のように見えてくる。
あの、銀色の雨傘だった。
銀白色の雨傘は、ゆらゆらと揺れながら、下方を流れていく。まるで蓮の花のようだった。
咲貴は持っていた傘を放り出し、猛然と駆け出した。白い傘を目で追いながら、半ば滑るように土手を駆け降りる。茶色い河の水は、昨日に増して水かさが多く、ほとんど川岸を溢れそうになっていた。しかし咲貴は躊躇せず、その濁った流れに身を投じた。
水の衝撃の後、一瞬で目元まで水につかり、間を置かず強烈な力で流される。そのまま沈みそうになり、懸命に水を蹴り、どうにか頭を水面に出した。雨粒が頬をたたく。体を包む流れは想像以上に冷たく、そして速かった。
咲貴は泳ぎだした。泳ぐと言うよりは、それはほとんど流されているだけに近かったが、咲貴はあの白い傘に向かって進んでいった。
今度は彼の役目だ。咲貴はようやく理解した。傘を届けるのは、今度は彼の役目なのだ。咲貴は傘を取り戻し、それを持って駅へ迎えに行かねばならない。傘を持たない咲貴の弟が、駅で彼を待っていることを咲貴は確信していた。
冷たい水が咲貴の体温を奪い、布地を重く貼りつかせた。水が染み込んだ服は重しとなり、彼に一層の疲労を強いた。水を蹴る力も、次第に弱くなっていく。それでも咲貴は泳ぎつづけた。白い雨傘が前方で揺れている。まるで、蓮の花のようだ……。
河川の流れは荒れ狂い、轟々と重い音を立てている。茶色い濁流は、全てをその内に飲み込み、覆い隠していくようだった。
……遠くかすかに雷鳴の音が響く。雨のベールをわずかばかり揺るがして、すぐに吸い込まれるように消えていった。