さくらばな-1
緩く曲げた指に、薄いはなびらが触れる。
白に似た色を持つはなびらは、そっと蕚を離れ、彼に触れた。
「さくらですね」
艶のある声に微笑を滲ませ、彼が云う。
「もう散り始めたかね」
障子を開け放した桟に肘を載せ、窓外の彼を眺めながら、私は応える。
私と彼との間には、そよと空気が動くたびに一片二片と花弁が落ちた。
「ご覧じておられますか」
黒い髪と袂とに甘い香気を孕ませ、膨らませながら、彼は私を振り返る。
身丈の高い、美丈夫然としたその姿は、百科繚乱といった庭にあっても際立って見えた。若く、美しい男である。
「ようく見えているよ。君が興がって舞っている姿も、ようく見えた」
今日は調子がいいのだよ。
そうして比ぶるに、己の返す声のしわがれを感じ、私は慄然とした。
あとは老いてゆく身である。過ぎたる若さを、傍に引き留めていたずらに愛でるのは、業深き技である。
勢いのある枝を矯めては、うちへうちへと巻いていくだけではないのか。
彼とて、若きは寸毫の間である。
あとは、私の様に老いるだけだ。
「宗春」
私は、固く彼を呼んだ。
彼はゆるりと首を振った。
「嫌ですよ」
僕は嫌です。
否む言葉を、彼はすげなく口にする。
「私は未だなんとも云うておらん」
しかし、聡い宗春は私の考えなど、先に読んでいるに違いない。
私が、彼を手放そうと時を図っていることなど。
「生計のことなら心配ない。お前が不自由なくしてゆけるだけの金銭は払うさ」
いままでの礼だ。
わざと嫌らしい調子で、抑揚をつける。
彼はゆっくりと瞬きをし、私を見つめる。細やかな哀れみが、その双眸に溶ける。
湿った苔を踏みしめる音を立て、宗春は歩を進める。
「僕は、貴方の財が欲しいのではないのですよ」
ご存知の癖に。
「僕はね、貴方のその」
宗春が語を切り、ひっそりと笑う。窓の直ぐ前まで来た彼は、私の微かに乱れた襟を開き、その白い指で衰えた胸を押した。
「その魂が欲しいのです」
私を指先で押し、退かせ、宗春は部屋のなかに這入ってくる。下駄は投げ出され、左右が互い違いに地面へ落ちる音がする。
枠で切り取られた桜色と薄青色を従えた宗春は、変に作り物じみて映った。
しなやかな腕が、私の首に巻きつく。
宗春の熱が、頬に触れる。
「貴方が僕を身傍へ置くのは、色に迷ったのでも老いらくの恋でもありません。美しいものを欲する故です。齢を重ねても失わぬ美への志向です。
貴方が芸術家として持しているその才気、妄執。僕は、それが欲しいのです。貴方の末弟子として、それだけが欲しいのです」
ですから。
僕を抱いてください。