堕天使と殺人鬼--第11話---7
「いいかな、みんな。あ、もう面倒だからこのまま進めます。席に着けって何度言っても聞かないからな、君たちは。」
登場当初から比べるとかなり小言の多くなった三木原だったが、そんな彼を気に止める者はおらず、誰もがその机に置かれた袋の存在が何より気掛かりで、彼などまるで眼中にないと言った様子である。
三木原の愚痴に対して僅かに反応したのは、意外にも晴弥だった。大袋に釘付けになっていた瞳を引き剥がして、視線を上げた。ふと、どれだけの生徒が席を立っているのか、気になったからだった。
――いや、本当の理由がそんなことではないことには、実のところ気付いては、いた。本当は、この不吉な気配が漂う大袋から視線を移す理由が、何かほしかっただけだ。――見ていなくてはならないような気がしたのだ。そのグレーの袋が、開かれるその瞬間を。何故かは分からない。しかし晴弥の理性は、それを頑なに拒んだ。本能が告げていたのだ。――それを確認してしまえば、お前は正気ではいられない、壊れてしまうぞ、と――。
晴弥は無理に、その思考を打ち切った。
視線を上げた先に見えたのは、晴弥が想像した通りの光景だった。ほぼ全員のクラスメイトが席を立って、険しい表情をしたり、不安げな瞳を揺らしたり、中には目に涙を溜めながら、教室の前の方に集まって異様な雰囲気の漂う袋を眺めている。ただ、晴弥はその中に、はっきりとした違和感を感じ取った。そしてその正体は、さして時間もかけずあっさりと、判明したのだった。何故ならそれは、あまりにも不自然な描写であった。
教室の後側にある机や椅子たちは、あまり乱れてはいない。そこに――机の最後尾列の、鉄板が張りつくされた窓硝子に向かって一番端、そこには――まるでそこだけ別世界の空間であるかのように、一人の少女がぽつんと座って、こちらを眺めている。彼女の見事に整った愛らしい顔立ちが、天井から照らされる蛍光灯によって、なんだか神秘的な色を漂わせていた。
美吹ゆかり(女子十六番)だった。腰まで延びた亜麻色の美しい髪の毛に指を通しながら、輝くような瞳で、三木原を見ていた。その唇の両脇が僅かに釣り上がり、微笑しているようにも伺えてしまうのは――単なる気のせい、だろうか?
ゆかりの、まるで堕天使のような微笑みを疑問がるよりもまず先に、晴弥は彼女が作り出したその別世界の空間に引きずり込まれるような、不思議な錯覚を起こしていた。しかし、すぐに襲い掛かって来たのは――恐慌だった。そこで横たえてある大袋よりも不吉なものを、全身で感じていた。
晴弥は無意識に、ゆかりから目を逸らしていた。
それで再び晴弥が目を向けたのは、例の大袋であった。それ以外に気を紛らわす方法を思い付かなかったのである。しかし脳裏には、やはり美吹ゆかりの、あの微笑が、しっかりと張り付いて剥がれなかった。
それでも、なんとか意識を他のことに集中させて――その瞬間、晴弥にとって実に都合の良いことに、大袋の前に辿り付いた三木原がおもむろに語り出したのだった。
「あのさ、この国はさ、君たちも知っての通りほら、準鎖国体制を取ってるだろう? それはさ、これもみんな知ってると思うけど、技術も産業も世界的に前進している我が共和国を、米帝や、帝国主義の国会民族が、配下に置こうとしてるからなんだ。それに加えて奴らは、共和国の伝統ある歴史や方針を、頑なに否定して脅かして来る。……確かに、この国の方針は自由主義の米帝や帝国主義の潘には、到底理解出来ないことなのかも知れない。でも実際は、国民の平和な暮らしや安定性を守るための、最適な国家制度であることは間違いないんだ。それを否定する潘から共和国を、国民を守るために準鎖国体制が必要なのは、みんなも正しいと思うだろう? ……でもそれだけでは共和国を全面的に守るのは不可能だ。この、中原たちのように専守防衛陸海空軍が、日々最前線に立って共和国を守ってくれているけれど……知っての通り――我が共和国には徴兵制がない。」
険しい表情を崩さずに三木原は一つ大きな溜息を吐くと、何度か首を振ってから大袋に手を掛けた。
思わず身を硬くして、次の三木原の動作を予想した上で構えたが、そんな晴弥の心配はあまり意味のないものとなった。再び、三木原が口を開いたのだ。その口調は、今度は何を思ったのか、優しさが含まれていた。
「……君たちは酷いと思うかも知れない。気持ちは分からないでもないよ。僕も中学一年生の頃、プログラムで最愛の姉を亡くしたし――僕自身も参加したことがあるからね。」
その言葉に、何人かがはっと息を呑んだが、三木原は構わず続ける。