『Lactic acid~1』-1
「ラスト一本!!」
平賀俊介の良く通る声が乾いたグラウンドに響き渡った。今年の夏は例年にも増して暑い。しかも、雨が全然降らず、グラウンドの砂が舞っている。それが汗にまみれた体にまとわり付いて気持ち悪い。
(シャワー浴びてえ・・・)
300mのインターバル走。俺たちは9本目を走り終えている。
「行くぞ!」
平賀俊介は俺の尻を叩いて、勢いをつけてダッシュを始めていた。俺もそれに続く。ここのグラウンドの1周は300m。それをほぼ全力で走りきる。少なくとも俺にとっては全力を出さないといけなかった。そうでないと、恥ずかしいくらいに平賀俊介と差が付いてしまう。
俺は平賀の背中を追いかける。もう10本目なのに平賀は疲れを見せない走りをする。全身がバネで出来ているようなそのしなやかな走りは、悔しいけど俺の理想だった。
第3コーナーに差し掛かる。
(まずい・・・)
乳酸が溜まって足が動かなくなってきた。腿が上がらない。腿どころか、本当に自分の足が前に出ているのかさえわからなかった。
前を走る平賀との差が広がる。
(くそ・・・)
悔しいけど、あいつの足はあと10本走れるんじゃいないかってくらいに軽やかだった。
「あっ!」
他人のことばかり考えている俺は自分の動きを忘れて足がもつれて、第3コーナーと第4コーナーの調度中間地点で転倒してしまった。結構派手に転んだみたいだが、体育の柔道の受身のおかげだろうか、痛みや怪我はないようだった。
「30、31、32、33、34、35・・・」
遠くでマネージャーがタイムを流し読みしている声が聞こえる。平賀俊介は36秒当たり
でフィニッシュしたようだ。
転んだ時に全身が本当に砂まみれになってしまった。
(気持ち悪りぃ・・・)
起き上がろうにも足が動かない。俺は雲ひとつない空を睨んだ。
暫く空を睨んでいるとふと視界に影が落ちた。
「何ボケッとしてんの?」
Tシャツに赤いハーフパンツを履いた木村涼子だ。さっきまで、300mインターバル走のタイムを流し読みしていた。
「お前のそのでっかい麦藁帽子のせいだよ」
涼子は日焼けが嫌だとか言って、一番強い日焼け止めクリームを塗り、その上につばが異常にでかい麦藁帽子をしていた。
「何それ。全然関係ないじゃない。早く起きなさいよ!もう、みんなクールダウン行くよ!」
俺はゆっくり起き上がると、すぐには立ち上がらず座って周りを見渡した。数人の短距離ブロックが集まっている。どうやら本当にクールダウンのようだ。
俺は、そのまま立ち上がって、短距離の連中が俺の近くまで来るのを待った。
少しして、平賀が短距離ブロックを率いて俺のところまで歩いてきた。
「おう、もう大丈夫か?派手にコケたようだけど?」
憎たらしくらいさわやかな顔で話しかけてくる。さっき300mインターバルを終えたようには全く見えない。
「フツーは心配して真っ先に駆け寄ってくるだろうが」
こいつの言葉には真実身がない。大丈夫と聞いておきながら、部活の運営中心なのだ。平賀は今年の夏の3年生の引退を期にこの星辰高校陸上競技部の主将に就任した。実力・人望共に申し分ない。満場一致の決定だった。
「いや、邪魔しちゃ悪いと思ってさ」
そう、ニヤニヤした顔で平賀は言った。本気で殴ってやろうかと思ったが止めた。こいつは後輩からも先輩からも信頼されている。下手に殴ると俺の評価が大暴落してしまう。
「そういえばなんで今日は400ブロックが俺とお前しかいないんだよ」
クールダウンのジョグが始まり、走りながら俺は平賀俊介に尋ねた。400mブロックは2年の平賀俊介と俺の2人と1年が3人の計5人いる。