モモイロ-1
当たり前のような顔をしているけれど、もちろん『ご自由にお取りください』なんて看板は無い。
人の傘、盗むな!
何百円の物だって、立派な犯罪なんだぞ!!
心の中で叫びながら、怖くてまともに視線を遣ることも出来ない。
その男が傘立てから抜き取ったのは、間違いなく私のものだった。
絶対的に相手が悪いのに、責められない小心者。
自分の不甲斐なさに涙を堪えながら、どうやって家に帰ろうかと考え始める。
「おい!」
飛び込んできた怒鳴り声に、思考回路が途切れた。
振り向くと、同じクラスの田谷くんが立っていた。
彼には珍しい、不機嫌そうな撫?ナ。
「それ、俺の」
ハデ集団が立ち止まり、私の傘を盗んだ男が前に出る。
「コレ?」
「ああ。返せよ」
「ゴメン、ゴメン。田谷のなのか」
田谷くんはクラス代浮ナ成績も優秀だけれど、おちゃらける時はおちゃらけるので、どんな人種からも人気がある。
ハデ集団が去り、玄関には私と、似合わないピンク色の傘を持つ田谷くんだけが残された。
「立花さんさ、なんで何も言わないの?」
「え…」
「これ、立花さんのでしょ?」
田谷くんは靴を履きかえながら、横目で私を見た。
思わず、視線を逸らす。
「言えば、返してくれるのに。あいつら、そこまで悪い奴じゃないよ」
「…でも…」
「でもじゃないって。立花さんは優しすぎなんだよ。さっきだって、他の奴がサボってんのに一人で掃除してたし」
恥ずかしい姿を見られていたと知り、ますます何も言えなくなっていると、田谷くんがため息混じりに傘を差し出した。
「あ…すみませ…」
「そんなんじゃ、聞こえません」
受け取ろうとしたが、ギリギリの所でかわされてしまった。
「礼はハッキリ言えって」
怖いなんて、思わなかった。
口調はきついけれど、それが意地悪なんかではなく、田谷くんの親切心だってことがわかったから。
「…助けてくれて、ありがとう」
なんとか視線を合わせ、精一杯の声で御礼を言う。
慣れないことに動揺してしまったが、田谷くんの笑顔を見たら自然と心が落ち着いた。
「なかなかだけど、まだ足りないな」
「え?」
「傘、入れてくれたら許してあげる」
田谷くんが悪戯っぽく笑う。
「実は、俺も傘なくて困ってたんだ」
思わぬ展開に驚いたけれど、私はハッキリと答える。
「うん、いいよ」
外は土砂降り。
でも、私と田谷くんはモモイロの下で笑顔だった。