『「ぼくと彼女」という平凡なタイトルの作品の平凡な一日』-3
「ただいま〜」
疲れたように溜息を吐く彼女は可愛い。
「……」
しかし疲れた。ただいまを言う元気すらない。こんなに疲れた理由は、デートが久し振りだったからというのもあるだろうけれど、決してそれだけではない筈だ。
「これから晩ご飯作るから、テレビでも見てて〜」
まだ晩飯までかなりの時間があるというのに、彼女は何を作ると言うのだろうか。これなら期待できるかも。
買物袋の中から食材を取り出し、それらを手際良く寸胴にブチ込んでいく彼女。
「てらへん・くらひこ・まぐぬや・くろていま〜」
ぐつぐつという鍋の音と、彼女の呪文のような鼻歌だけを聞くと、何か怪しげな魔術の施行中なのかと思ってしまう。
この姿を見慣れたぼくでさえそう思うのだ。もし赤の他人が見たら、そのまま見なかった振りをするか、若しくは警察に通報するだろう。
しかしそれを差し引いても、彼女の後ろ姿は可愛い。エプロン着用なら可愛さ倍増だ。それで紺色のワンピースだった日には……。
ぼくの呼び方は『ご主人様』で決まりだな。その際、眼鏡も外せない。おっと、カチューシャを忘れるところだった。ぼくとしたことが、基本を忘れるなんて――
――と、いう訳なんだけど、
「できたよ〜」
ん?
どうやら結構な時間を怪しげな思考に使ってしまったようだ。反省反省。
しかしいい匂いだな。
「いただきま〜す」
彼女は兎に角可愛い。
「……」
特別な価値観でも持っていない限り、彼女を可愛くないと言う奴はいないだろう。
「ん〜。結構うまくできたかな〜」
同様に、食卓の上に堂々と鎮座しているコレを可愛いと言う奴もいないだろう。
ある点を除けば、ごく普通の中華スープ。
しかし、だ。一体これは何だ?
皿の中心付近に居座っている謎の物体。何かの手のように見えるのは気のせいなのか。
「食べないの?」
箸をつけようとしないぼくを、不思議そうに見つめる彼女。しかし、基本的に人間は未知を恐れるものなのだ。何だか分からない物体を口に入れるような、無謀とも言える勇気は、幸い持ち合わせていない。まあ、物と場合によっては、何だか分かってても口に入れられないものもあるけれど。
「これは何だ?」
「クマの手」
尋ねてみると、なんともさらりと答えてくれた彼女。熊の手なんて、手に入るのか?
まあそれは置いとこう。わざわざ本格的に中華スープを作ってから熊の手を煮込んだことから考えて、これが彼女の、手の込んだ料理だということが分かった。
ここでよくある突っ込みを入れてみたいと思う。
『手の込んだ料理』って言うか……
「お肌にいいんだって〜」
これは『手が混入した』料理だろ!
お粗末様でした。