「はるのかぜ」-4
ふと、白く、細い頼りなげな手が、視界の端で空を掻くように揺れた。
「どうした緋桜里?」
「颯真さま・・・? そこにいらっしゃいますのね・・。目を開けていてもしばらくは明かりが遠くって・・・少しお待ちになってくださいまし・・・」
緋桜里は乱れた黒髪を耳にかけるとゆっくりと起き上がろうとした。俺は慌ててそれを制した。
「まだ無理をするな」
「あいすみませぬ。颯真さま・・・・わたくしね、颯真さまのお子が欲しゅうございました」
緋桜里はやっと目に光が入ったのか、長い睫をしばたかせながら独り言のように呟いた。そんな緋桜里を見て、俺は胸を締め付けられるような痛みに、ただ耐えるしか術を持たなかった。そして今できる精一杯の作り笑いをした。
「やぶからぼうに何を言ってるんだ。子供なんぞこれから十人でも二十人でも産めばよい」
「ふふふ、颯真さまったら・・。十人も二十人も? ではこの屋敷も狭くなってしまいますわね。
ところで颯真さま・・ひとつお願いがございますの・・・」
「何だ? 俺ごときにできることならば、なんでも申してみよ」
「桜を・・・そこの桜を一枝・・手折ってはくれませぬか? 今一度、ようく見たいのです」
緋桜里はもう、息も切れ切れにそう言った。視線は既に俺を飛び越えて、庭の桜を眺めている。
「お安い御用だ。それ、少し待っていろ」
俺は縁台から草履をつっかけ、庭に出た。そういえば、初めて緋桜里に出逢った日も、そのうす桃色の唇に口づけた日もこんな春の昼下がりだったかもしれない。暖かく、すぐにでもまどろんでしまえそうな・・・・。
そんなことをぼんやりと考えていると、急にざざぁっと一陣の風が吹いて、桜の花びらを散らした。
そのときだった。後ろから、か細く、しかし妙にはっきりと緋桜里の涙声が聞こえた。