「はるのかぜ」-2
「緋桜里、行くな!」
・・・・・・
「いつまでその女を追いかけるつもりだ?」
不意に男の声がした。
「何者だ?」
その男は見慣れぬ顔立ちであった。狐のように吊り上った細い目。八重歯が獣の牙のように鋭く尖り、わずかに唇の隙間から見えている。男は、その気味の悪い顔でにやりと笑うと、
「俺は悪魔だ」
と言った。この辺りではまだ珍しい、洋服なるものを着て、庭先に立っている。
・・・怪しい奴め
癖で、すぐにでも腰に手をやるが、そこには既に何もなかった。刀はとうに没収されていたのだ。
「ふざけるな。勝手に人の家に入ってくるとは何事だ。その上悪魔などとぬかしやがって。隠密裏の役人の類か?」
俺がそうすごむと、男はさぞ愉快そうに笑った。
「役人? 俺が? とんでもない。お前が死んだ女の名ばかり呼んで、毎日泣き暮らしてるから助けてやってくれといわれたのさ」
死んだ?
「なんのことだ」
「緋桜里とかいう女だよ。去年、流行病で死んじまったお前の奥方さ」
緋桜里が死んだ? そんな馬鹿なこと。