微笑みは月達を蝕みながら―第弐章―-9
「お前何を渡した?」
正樹が話しかけるが、夕は答えない。眠っていた。
「今は疲れている、か」
家出をし、行方不明になったと聞いてかなり探し回った。だが見つけるのが遅かったかもしれない。
「厄介、だな」
正樹と夕は異母兄弟に当たる。
だが“家庭の事情”で一緒に住んではいない。夕は父親とは物心付く前から離れて暮らし、会った事もないはずだった。正樹は“仕事”の関係で父とはよく会うが、正樹にはよくわからない存在だ。
夕が父親に会いたいと駄々をこねたことは、正樹に対してはない。“捨てられた”と感じているからで、社会的にみればその通りだった。生まれた直後に遠い親戚の家に預けられ、その親戚も夕を快く思ってはいないらしい。
「何故、かな」
理由は知らない。想像できることはあるが、それは想像だけに留めておいた方がよさそうだった。
ピピピピピピピ
何の変哲もない、無機質なコール音が正樹の胸から鳴る。表示を見た。
「――――」
一応法律上では母親に当たる人物からの電話だった。無視したい衝動に駆られるが、それを抑えて通話ボタンを押す。
「もしもし」
『あん、正樹ちゃ〜ん。夕ちゃん、見つかったぁ?』
やたらと甘えたような、癇に障る女の声が嫌な感じに鼓膜を震わせる。
「一応は」
『やだぁ、そんな堅っ苦しい言葉遣い。だって、早紀は……うふ、一応正樹ちゃんの、は・は・お・や、なんだからさあ。もっと甘えてよぉ』
意味が分からない。さらに意味不明さはエスカレートする。
『あ、もしかしてレンに惚れちゃった? ヤダどうしよう、アタシ妬いちゃう。もう、ヤキモチ妬き過ぎて脳内麻薬がドバドバなって発情しまくっちゃ』
ブチン、と電源を切る。四秒後、再度着信。
『あん、やだやだぁ。切っちゃいや。アタシ焦らされるのに弱いの。あ、レンとかと話した?』
「少し。白という子も、話した」
『やっだぁ、めずらし。ねぇ、白ちゃんとレン、どっちが好み?』
なんてことを訊くんだろうこの女は。無視していい質問だが、正樹は律儀に考え、答えた。
「白、かな」
『やぁん、正樹ちゃん、趣味悪ぅい。あの子は絶対苦労するタイプよん。過保護に育てられた子は甘え上手だからぁ』
「……。じゃあ、もう一人の方で」
『えー、レン? 趣味悪〜いぃ。好きですなんて言ったらぁ天然の女王様に魂奪われて、一巻のお・わ・り。正樹ちゃん、もっと賢いかと思ってたぁ』
ワケがわからない。
「どっちも駄目、なのか」
『そうよん。そういう時はね……うふ、お・か・あ・さ・ま。つまり、アタシを選べば角が立たないわけぇ。あん、マザコン男ねん。うふん、嫌いじゃないわぁ。ねぇ、どうこの後?』
付き合いきれない。
「もう少しマトモに、話してくれ」
『もう、つれない男。もてないよ、それじゃ』
こんな女にもてなくても正樹はちっとも困らない。寧ろ大歓迎だ。加藤早紀<かとうさき>は法律上では母親に当たるが、実は正樹と同い年だ。父も何故再婚相手にこの女を選んだのだろう。頭も能力も度胸もあるのは認めるが、性格に致命的な欠陥がある。
『ん。じゃ。ちょっと真面目に。レンか白ちゃんに、漏洩の可能性は?』
ああそういえばこいつはレンと友人関係を保っている稀有な女だったと思いつつ、
「ない、だろう。勘の域を出ないが」
『ん〜でも感覚ってすごく大事。正樹ちゃんみたいな職業ならなおさら。うふ、とりあえず今日はそれだけ聞けたら充分。あとは早紀ちゃんにお・ま・か・せ・あ・れ☆』
やっと電源が切れた。なんだかもう八割方のエネルギーを使い果たした気分だ。たったこれだけの通話時間でエネルギーを持っていくのだから、早紀はもしかしたら吸血鬼になったらすごいことになるんじゃないかと馬鹿なことを考えた。
頭が痛くなるが、早紀が動けば大抵のことは解決してきた。口には出さないが、それなりに信頼はしている。結果は必ず付いてくるからだ。
だが解決の手段が周りにとって最良かといわれればそれは絶対否定なのだが。
「苦労するな」
しみじみと、そう思った。
自覚してるだけマシかもしれないけど。