「宇受賣神社の巫女」-1
序章
学校から帰って来た那美は、家の前に止まっている車に目を止めた。
(まさかうちに来たんじゃないわよね。)
そう思ったのは、車が黒塗りのベンツだったからだ。物心つく前に両親を亡くした那美は、父方の祖父と二人で暮らしている。特に不自由のない暮しをしてはいたが、高級外車に乗ってくるような訪問客に心当たりはなかった。
家に入ると、知らない女性の話し声が聞こえる。やはり自分の家の来客だったのだろうか?
応接間に入ると、祖父と話し込んでいた女がスッと立ち上がった。年齢は二十代後半ぐらいの、キリッとした美人だ。
「那美様ですね。」
「は、はい…、那美ですけど…」
「まあ、美しくお育ちになって…。お母様にそっくりでいらっしゃいますわ。」
戸惑いの表情を浮かべる那美に、女は深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。私、稗田美沙子と申します。」
反射的に那美も同じように頭を下げる。
「いえいえ、あなた様は、そのように頭をお下げになる必要はございません。」
そう言いながら、美沙子は慌てて那美の顔をあげさせる。
美沙子の話は意外なものだった。
那美の母は、由緒ある神社の巫女だったという。
今でこそ巫女と言えば、神主の助手のような役割をふられていることが多いが、もともと、巫女こそが信仰の中心にいた。
神の言葉を聞き、他の者に伝えることが巫女の役割であり、古来より男性優位の社会においても、世俗の王を超える権威を持っていたケースが多かったと言われる。
那美の母は、そうした伝統を引き継ぐ神社の巫女であった。
この神社、宇受賣神社は、近隣住民の信仰を集めるだけでなく、そのあらたかな霊験を信奉して、政財界の大物も含め、全国に多くの信者がいると言うのである。
「お母様が亡くなられてから、神社は巫女なしでやってまいりました。それも、那美様が16歳になられるのをずっとお待ちしていたからでございます。」
那美は、先日16歳の誕生日を迎えたばかりだ。
「ぜひ、神社にお戻りいただいて、巫女となっていただきますよう、お願いいたします。」
美沙子は深々と頭を下げた。
その横で、信一郎は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
美沙子の話を歓迎していないのは明らかだ。
「でも…。どうしよう、おじいちゃん。」
「もちろん、よろしいわね。信一郎さん。決まっていることですものね。」
信一郎が何か言おうとするのを遮って、美沙子が口を挟んだ。
「仕方ない…」
信一郎はポツンと呟くように言った。
「それじゃあ、これから参りましょう!」
「えっ、これからって?今からですか?!」
「そう、善は急げ、ですわ。」
「でも、学校もあるし…、何も準備してないし…」
「大丈夫です。生活に必要な物は全て揃っておりますから、那美様は身一つでおいでいただけば良いのです。信一郎さんが、後で身の回りの物を送ってくださるでしょうし、学校などの手続きもやってくださるでしょう。もし、やり残したことがおありなら、巫女になられた後に、またこちらにおいでになれば良いのです。」
美沙子は、事もなげにそう言って、那美を急き立てた。