*** 君の青 最終回***-11
マウンテンバイクと呼ばれるくらいなのだから、もちろんこの程度なら楽々登れるのだが、ここからはどうしても自分の足で進みたかったのだ。
青々と茂った葉が影を作る森は、同じ外とは思えないほど涼しかった。
息を弾ませながら、走りなれた細道を走っていると、突然、幼い頃の僕と雫の姿が目の前にふっと浮かんだ。今の僕と同じように、この意地悪の道を必死に走り、青い鳥を見つけるまでと日が落ちるまで進んでいた、あの頃の二人だ。
”おい、雫、青い鳥って本当にこの森にいるのかなぁ”
僕の隣りを走っている幼い僕が言った。
”いるよ!きっと、もっともっと走ったら・・・きっとその先に”
その隣りを、小さくても強気な雫が走っている。
僕は二人を見ながらふっと笑みをこぼした。
「そういえば、こんな時もあったな」
ほとんど折れている草を踏み、そのままの勢いで前進する。ここまでくると、僕のそばから二人の姿は消え、あの甲高い声だけが、頭の中で鐘のように鳴り響いていた。
”いるよ。きっと、もっともっと走ったら”
あと少しだ。あと少しで頂上だ。僕は残りの草を一気にかき分け、弾丸のように顔から前へ飛び出した。
”・・・きっと、その先にいるよ”
瞬間、呼吸を忘れた。風がそよぐ中、愛しい背中がスローモーションで振り返り、僕だと分かるとその大きな瞳を潤ませて、優しく微笑みかけてくれたのだ。紛れもなく、雫だった。洗いざらしのジーンズに、スニーカーをはいて、上は真っ黒のティーシャツというラフないでたちだった。僕はそのティーシャツを押し上げている胸元から目をそらして、ゆっくりと彼女の隣りへ歩み寄った。
「久しぶりだね」
と彼女は言った。
「あのはがき、お前自分で郵便受けに入れただろ」
呆れながら僕は言った。
「芸が細かいでしょ?」
「バーカ」
僕は真っ青な空を見上げて、言った。
「髪、随分と伸びたな」
雫は風でなびく髪を、片手で押さえながら妙にしおらしくコクリと頷いた。この半年間は彼女をまた一歩、大人に変えていた。その長いまつげも、やわらかそうな唇も、白い肌も、大人の女性の持つそれそのものだった。
「大人っぽくなったな」
感じたとおりに言ってみた。
「そう?別に変わらないと思うけど」
彼女は笑った。どうやら本人にその自覚はないらしい。
僕は、いや、と首を振った。
「綺麗になったよ、本当に」
「そうかな」
「うん」
風で、ちぎれた草が飛んだ。ゆらゆら・・・ゆらゆら、と。そして落ちるのかと思えば、それはまた新しいつむじ風に巻き上げられ、もっと高く、青空を泳いだ。
「ねぇ」
あらたまった声で、雫は僕のティーシャツの袖を引っ張った。
「ん?」
僕は振り向いた。
「約束・・・だったね」
消え入りそうな声で、彼女は言った。終わりの方はもはや声になっていない。
「・・・・・」
見ると彼女の顔は、耳たぶの先まで真っ赤に染まっている。壊れ物を扱うように、そっと頬へ触れると、彼女の肩がピクンッとはねた。僕の鼓動も次第に早くなっていく。
「驚かないよ」
僕は覚悟を決めた。
雫は赤らめた顔を、ゆっくりと上げ、僕の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「あのね・・・・・」
彼女の濡れた唇が動くと同時に、合唱するセミの鳴き声も、遠くから聞こえてくるかすかな車の音も照りつける太陽の暑さも、全て無に変わった。
雫の声以外は何も聞こえず、彼女の感触外は何も感じなかった。まるで一瞬を境にして、時間が止まってしまったかのように、静かだった。
ある夏の暑い日・・・・・僕は、彼女の答えをきいた。
END