Mirage〜4th.Weakness-9
「いやぁ、助かるよ」
タヌキ──もとい、玉木教授は相変わらず青いハンカチで汗を拭きながら言った。
僕はといえば、研究室の真ん中に置いてある応接用のテーブルの傍らで黒革のソファに腰掛けていた。高級品らしく、座り心地は抜群だが、目の前にあるのが豆から挽いたコーヒーではなく、顔写真や学籍番号、簡単なプロフィールなどが書かれた個人情報満載の紙切れである。これらを全て専門の業者に売り払えば一体いくらになるのだろう、というけしからん考えを何とか一瞬で否定した。
「先生、もしかしてゼミ生の選考ってまさかゼミ生が全部やってたんですか?」
僕は白けた目で教授を睨んだ。
「全部じゃないさ。今までは明らかに不適格と見なされる書類だけを何人かに選んでもらってたんだけど」
「けど、何で僕しかいないんです?」
教授はいつも困ったように垂れ下がっている眉をさらに下げた。
「みんなバイトやら授業やらで忙しいらしくって」
嘘に決まってるやろ、とは心の中だけで呟いた。
「僕だって今日は人と会う約束がありますよ」
「私も今から教授会でしてねぇ」
人の話を聞け。
「とりあえず気に入らないのは落としてくれても構いませんので」
ほんまかい。
僕は教授が研究室を出るのを見届けてから、一つため息をついた。そしておよそ40人分だという書類の山の頂上から一枚を掴み上げた。
さてと…相川隆信。志望理由、過去の経済学者の足跡を辿ってみること、こんなロマンに満ちたことはありません。是非、玉木先生のゼミで勉強させてください。…一人で辿っとけ。次。
内田江美子。化粧が濃い。次。
北沢美香。何で顔写真がプリクラやねん。論外。
小林祐介。志望理由、アジア経済史の授業にて先生の人柄についてもっと知りたいと思いました。…保留。知りたけりゃメル友にでもなれ。
がちゃ。
小林渉。小林は二人もいらん。
「あれ?神崎くん?」
酒井真理。志望理由、…あー、めっちゃ書いてある。採用。
「神崎くん?」
塩川和宏。志望理由書いてへんやんけ。なめてんのか。
「神崎くん!!」
そこで僕はようやく顔を上げた。そこには眼鏡が似合う小柄な女の子の姿。
「…高末?」
「何やってんの?」
高末は僕の手元を覗き込んで眼鏡の大きな目を丸くした。