Mirage〜4th.Weakness-8
「嫁に行けばいいんです」
僕はあえて何の前置きも無く言ってみた。先輩は予想通り、僕の発言の意図を図りかねて眉根を寄せている。期待通りのリアクションに、僕は心の中でぐっと拳を握った。
「…ちょっと語弊がありますかね」
「語弊も何も、君が何を言いたいのかがさっぱり分からない」
からかわれている、とでも思ったのだろうか、先輩の口調からは苛立ちが見え隠れしている。
「早い話が、先輩は自分の価値が知りたいわけでしょう? だったら、その辺の適当な男捕まえて、プロポーズしたらいいんです」
「それで、私の価値が分かるって?」
見下ろすような視線で僕を射抜く彼女の姿は月光に照らし出され、そのスマートな肢体を見せ付けるかのごとく僕の目の前に立った。
「もちろん、ただ言うんじゃ面白──いや、正確な判断が出来ないんで、こう付け加えたらいいんです」
「何て言うんだ? 私は?」
先輩も乗ってきたのか、愉しそうな笑みが口元に張り付いている。まるで買ってきたばかりのおもちゃの箱の包装を開ける直前の子どものようだ。
「『私と結婚できるなら、何を捨てられる?』って」
ほぅ、と先輩は小さく声を上げて胸の前で腕を組んだ。僕はそれにも構わず話を続ける。
「財産? 家庭? 命? いくらだって挙げられるでしょう。そのうちどれが一番価値があるのかは先輩が決めればいいんです。──どうです?」
「成程。参考にさせてもらう」
と先輩は言った。そしてそのまま僕の隣に腰を下ろす。
座っても、彼女は口を開かなかった。ただ茫洋とした瞳を停滞無く流れる川に向け、一定のリズムでつま先で地面をぱたん、ぱたんと叩いていた。
彼女が喋らないなら、自分は喋る必要はない。
そう判断した僕は、彼女に倣っ──たわけではないが、川へと視線を向けた。
いつ来ても、良い場所だと思う。どこが、といえばやはりこの静けさだろう。日本の川らしい、と胸を張って言えるほど僕は日本の川フリークではないのだが、それでもやはり雅を連想する川の水音やほとりの並木道はやはり心を落ち着かせる。
時間が止まっているのではないか、と思うことがある。川は流れているし、木の葉も揺れている。それにも関わらずそういった空想を抱いてしまうのはこの近辺の普遍性にあるのだろう。普段僕たちが生活している空間とはまた違う、切り離された空間の中にいるではないかと錯覚してしまう。
──いや、妄想する、の間違いか。
「ねぇ」
先輩が口を開いたのは、最後に黙り込んでから20分ほど経った後だった。
「君なら、何を捨ててくれる?」