■LOVE PHANTOM■八章■-1
今日も一日の半分が終わり、二人はいつものように夕食の材料を買いに行くことにした。今夜は叶のリクエストで、ポークソテーを作ることを約束した靜里は、冷蔵庫の中に豚肉があるのを確認した後、ハンガーにかけてあった水色のコートを羽織り、白い、毛糸のマフラーを首に巻いた。
そうしているうちに叶は、寒いほうがいいと、何も羽織わずに先に外へ出て行ってしまった。
靜里は「待ってよ」と言いながら、薬箱の中からカイロを取り出し、それをコートのポケットへ入れ、外へ出る。すると、一瞬のうちに凍りついてしまうのでは、というほどの冷たい風が、靜里を包みこみ、靜里は一度、ぶるんっと震えると、前に立つ叶の元へ走り寄った。
「寒い。今日は今までで一番寒いような気がする」
白い息をもくもくと吐きながら、靜里は苦笑した。
「これくらいがちょうどいいよ」
同じように白い息を吐きながら、叶が笑う。
「なんで、すっごく寒いよ。途中でホットのコーヒー買って行こ」
「寒がりだな」
鼻を真っ赤にしながら、巻いているマフラーに顔を埋めている靜里の姿を見ながら叶は言った。
「買い物って言っても、すぐ近くにあるスーパーだろ」
「距離が短くても寒いものは寒いよ」
そう言うと靜里は、何食わぬ顔で顔で叶の手を握った。 叶は一瞬下を見たが、たいして気にしていない様子で再び視線を前へ向ける。
「だったら家で待っていればいい。家の中は暖かいだろ」
「駄目だよ。買い物は二人で行かなくちゃ。規則作った意味がなくなっちゃうよ」
照れ臭そうに靜里が呟き、その顔を見た叶は、ほんの少し目を細めると、さっきよりも強く靜里の手を握った。
二人がいつも買い物に行くスーパーは、歩いて五分程しかかからない場所にある。
そこは他のスーパーに比べ、比較的大きめで、いつも夕方になるとレジの前は、夕食の材料を買い求める客でごった返していた。なので二人は、いつも夕方になる前に、気持ちだけ早く買い物へ来ることにしている。
「叶?」
スーパーの頭が見えてきたころ、靜里が言った。叶は視線だけを靜里に向ける。
「おいしいの作るからね」
「ああ」
叶は、無垢な表情を浮かべている靜里の頭を、軽く小突き、
「早く行こう・・店の中はきっと外より・・」
彼女の手を引こう、としたところで足を止めた。
驚いた靜里は、「何?」と言って叶の顔を見る。
彼の表情は、さっきまでとはうってかわって、こわばっていた。鋭い目付きで、何を見ているのか、前を向いている。靜里は彼の顔色をうかがいながら、周りを見渡してみる。 しかし誰もいない。
「どうしたの?」
腫れ物にでも触れるように、静かに聞いてみる。
叶は前を向いたまま、低い声で言った。
「靜里」
「はい」
靜里はごくりと唾を飲んだ。
「財布を忘れて来た。家に戻って取って来てくれないか」
「え?」
叶の言葉に靜里は、足元から力がすっと抜けていくのが分かった。崩れ落ちそうな体の態勢を、何とか整え、笑ってみる。
「いいじゃない。二人で取りに行こ」
そう言うと靜里は叶の正面に立ち、手を差し伸べた、が、叶は一向に動こうとせず、前を向いたままである。
「たのむ一人で取りに行ってくれ。ここで待ってるから」
叶は靜里の肩を軽く叩くと、うっすらと笑って見せた。
靜里はため息をついた後、口を尖らせ、渋々と家のほうへと向かって、一人で歩いて行った。靜里の姿は、すぐ近くの曲がり角で消え、叶はそれを確認した後で、ゆっくりと右の曲がり角にたっている電信柱の方をを向き、静かに口を開いた。
「誰だ。さっきからつけてきてただろ」
辺りはシンと静まり返り、角の向こう側からも何の応答も見られない。それでも叶は、じっと、視線をそらす事なくその方を睨みつけ、言った。