淫魔戦記 未緒＆直人 3-2
ある月の土曜日。
メジャーでバストサイズを計っていた店員が、声を上げた。
「あら……藤谷様。また胸が大きくおなりになりましたね」
「ええっ！？」
未緒は思わず問い返す。
「冗談でしょう？」
店員はきっぱりと答えた。
「嘘でも冗談でもございません。アンダーは六十九のままですが、トップは九十にアップしております」
店員は、ニコッと微笑む。
「愛情を籠めて彼に揉んでもらっているのでしょう？」
「やだ、そんな……」
思わず未緒は、頬を赤く染めた。
−今未緒がいるのは繁華街にある女性専用ファッションビルの、高級下着専門サロンである。
娘の胸の膨らみ方が同世代の女の子よりも激しい事に気が付いた母の由利子が、『今からちゃんとしたブラジャーをしないと形が崩れる』と考えて探し出したのがこのサロンだった。
以来未緒は、下着はこのサロンの物しか身に着けていない。
セミオーダーで体にジャストフィットする下着の快適さを知ると、既製品は体に合わない気がして敬遠してしまうのだ。
ちなみに今日は半年にいっぺんほどのサイズの計り直しと下着注文のために、サロンを訪れていた。
数年来のお得意さんである未緒に顔なじみの店員は、時々気安い口をきく。
店員の接客としては失敗かもしれないが、未緒は別に気にしていなかった。
「それでは新しいサイズでブラジャーをお造りいたしますね」
サイズチェックのために入っていた試着室から出てきた未緒に、店員がそう声をかける。
未緒はフロアの隅にある椅子に腰掛け、カタログを手に取った。
「どのようなタイプにいたしましょうか？薄着の季節に向けてストラップレスの物などよろしいかと存じますが」
「そうですね……」
ブラジャーとショーツのバリエーションデザインのカタログをパラパラとめくりながら、未緒は気に入ったデザインを探す。
店員とのお喋りを交えながら、未緒はブラジャーとショーツを数点注文した。
レジで会計を済ませる未緒の視界に、数枚の写真が飛び込んでくる。
「あれ？」
思わず、声が飛び出た。
「これ、伊織ですよね？」
未緒が写真を一枚手に取ると、店員が言う。
「ああ、それですか？上のフロアのエステティックサロンが今度メンズエステを始めるとかで、イメージキャラクターに伊織さんを起用したらしいんです。で、この間スチール撮りをした時に現場へ紛れ込んだ伊織ファンのエステティシャンが私の顔見知りで……要は、おすそ分けです。よろしければ藤谷様、お持ちになりませんか？」
「そう、ね……それじゃあ、一枚」
よく顔の見える写真を一枚選びながら、未緒は思案した。
何とかして、伊織に会う方法はないだろうか？
「伊織に会いたい？」
野菜の炊き合わせを口に運びながら、直人は首をかしげた。
「伊織っていうと……僕も名前くらいは知ってるな。でも、どうしてまた急に？芸能界には興味が薄かったのに」
味噌汁で口の中を流してから、発芽玄米入りの炊きたてご飯に箸をつける。
−土日の予定を直人が空けてくれたので、二人は神保家の離れにいた。
『どこでも好きな所を言って。そこに行こう』と言われたが、考えて出した未緒の希望は屋敷の離れである。
色々な方面に顔が知られている直人が外に出ると、当人はいたって自然体でも周囲が余計な気を使う。
その事を少々煩わしく感じているようなので、どこかの誰かに遠慮する必要もなく、気兼ねも全くいらない離れでののんびりまったりしたデートを未緒は望んだ。
直人もこれを快諾し、かくして二人は離れで未緒が作った心尽くしの膳を囲んでいたのである。
「実はね……感じるの。あの人は、何か人間外の血が混ざってるんじゃないかって」
「感じる？」
「ええ……ちょっと見て欲しいものがあるの」
未緒は席を立ち、少しして一枚の写真を手に戻ってきた。
「これ。今日、もらってきたものなんだけど……」
直人は箸を置き、写真を手に取る。
美青年が、ものすごい色気を振り撒いていた。
「……確かに。並の人間にこの色気は普通ありえないな」
写真を手放しながら、直人は言う。
「いたってノーマルな性嗜好の僕が、一瞬くらっときた」
「えっ？」
硬直した未緒に、直人が笑いながら言う。
「冗談。でも、並じゃないのは確かだね」
「でしょう？」
安心したようにホッと息をつく未緒を見て、直人は背筋がぞくっとした。
「……そんなに会いたいなら、段取りを考えてみよう。後でね」
「え？」
「今は、デートの方が大事」
「……！」
未緒は思わず、口元をほころばせていた。