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揺れる
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揺れる-6

 でも何かが違っていた。私の大好きな砂浜が、海が、いつもと違うの。
 「早くそこから逃げて!」そう叫びたかったのに声が出ない。あなたは海辺でしゃがみこんだままのお母さんに手を貸して、砂浜の方へ移動して行った。
 でも、子供が、男の子が。引いていった波を追いかけるように海へと誘われていったの。あなたがそのことに気づいたのは、お母さんを砂浜に座らせてあげてからだった。
 いつもと違う海の様子にはしゃぐ彼。その後ろに迫る波に目を見開くあなた。お母さんの悲鳴。私の悲鳴。全てが混ざって、解けて、そして後に残ったのは―




「イツカ」
遠藤くん―
「大丈夫か?」
 まだぼやけている世界を現実へと近づけるために、あたしは2、3度瞬きを繰り返す。目の前にいたのは心配顔のヤマギシだった。キョロキョロと辺りを見渡すと、あたしが寝ている場所は長椅子の上で。身体の上には男物の上着が掛けられていた。どうやらここはあの画廊の受け付けの奥にあるキッチンのようだった。
「…山岸クン。大丈夫よ?遥と違って、あたしは心臓も丈夫だし。」
 そう言って微笑むと、彼は少しギョッとした顔をした。
「思い、出したんだね。」
 肯定の意味を込めて首を一つ縦に振る。
「遠藤くんは…?」
「今はA県に、遥さんが生まれた町で暮らしているよ。」
「元気、なのね。」
 その問いかけに頷くと、ヤマギシは視線を下に落とした。 
「乙香」
 そう言って顔を上げたヤマギシの、今にも泣き出しそうな目に射抜かれて心臓がドキリと一つ鳴る。
「なに、どうしたの?」
 動揺が声に出ていたが、ヤマギシはそれに構わず続ける。
「謝らなきゃいけないことが、あるんだ。」
「僕が君たちの幸せを、遠藤さんと遥さんの幸せを壊したんだ。」
 ポツッ。水滴の音が耳に響く。音がした方に目をやると、水道の蛇口が少し緩いのだろうか。今にもシンクに落ちてしまいそうな雫が視界に入る。
「僕はあの時まだ2つになったばかりで、海を見るのが大好きだった。今となっては波音を聞くのも耐えられないんだけどね。」
 ポツッ。蛇口を閉めなきゃ。水がもったいないじゃない。
「あの日、遠藤さんが僕を連れて砂浜に戻ると母さんが僕を抱きしめてくれた。遠藤さんはすぐに君を探したよ。でも君はいなかった。丘の上に君の身体はあったんだけど、君の魂はもうそこにはいなかったんだ。」
 ポツッ。今度は違う方向から音がして、思わず視線を向ける。
「それを知った時の遠藤さんの顔を、僕は忘れない。」
 ヤマギシの歪んだ表情を伝って、雫が一つ床に落ちる。
「濡れた身体で君を抱きかかえて何度も君の名を呼ぶ彼の姿を、僕はぼんやりと見つめていたんだ。」
 それは今まで見たどんな雫よりもキレイに思えた。
「僕は、」
「もういいから。」
 閉じることを忘れたヤマギシの口を左手で押さえる。
「もう分かったから。…泣かないで、タケシくん。」
 あたしより頭一つ大きいヤマギシの身体を抱き寄せる。人とこんなふうに近づいたのは初めてだったけれど、あたしの身体はそのやり方を知っていた。
 ヤマギシの震える耳を見つめていたら、やっとあたしは理解した。
 どうしてヤマギシを探すのか。 
 どうしてヤマギシが気になったのか。
 どうしてヤマギシには心を許したのか。
 その全ての答えが、フッと心に入ってきて。その代わりに、あたしの身体の中から何かが出て行くのを感じた。


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