刃に心《第9話・紅き月夜》-1
嫌な夜だった。
じっとりと生暖かい空気が肌にまとわりついて離れない。
月は不気味に赤々と輝き、虫や木々のざわめきさえも聞こえなかった。
「この街か?」
「ああ」
何処かで誰かが静寂を破った。
「急ごう。相手は結構厄介だぞ」
「ああ。分かってる」
《第9話・紅き月夜》
◆◇◆◇◆◇◆◇
「疾風、どうやら私は学校に宿題を忘れてきてしまったようだ」
疾風の部屋。ベッドの上に寝転がった疾風に対し、楓が綺麗な正座で言った。
「で?」
「それで今から取りに行って来ようと思うのだ」
「分かった。母さん達には伝えとくよ。気をつけて」
───バン!
ベッドが揺れた。
疾風は身体を無理やりくの字に折り、楓の手から放たれた木刀から逃れる。
「貴様!女一人に夜道を行かせるとは、それでも男かぁああ!」
楓の怒声が部屋に響いた。
「昨今は何かと危ないのだぞ!分かっておるのかあぁあああ!!」
正直、今の一撃の方が危ない…
心で思っていても、絶対に口には出せない感想。
口に出した瞬間に今度は本物の刃が疾風を三枚におろしにかかるだろう。
「…うっ…うぅ…」
楓は木刀を納めると顔を両手で覆った。隙間から聞こえる押し殺したような嗚咽。
「か、楓?」
「うっ…疾風は…ひっく…私の、ことなど…し、心配ではないと言うのだな…ぐすっ…どうでも…ひっく…いいと…言うのだな…うっ…うっ…」
「あ、いや…そうじゃなくて…ほ、ほら、楓って強いし…」
そうは言ってみたものの、嗚咽は止まる気配を見せない。
「…分かったよ…一緒に行くから…」
その言葉を聞くと楓は顔から手を離した。
「ならば、すぐに行こう♪」
ニカッとした満面の笑み。それでいて、悪戯が成功したときの子供のような笑顔だった。
「なっ…!?」
「男に二言は無かろう?」
やられた…
今更、後悔しても遅かった。諦めて、はぁ…と深い溜め息を吐く。
「男の弱点は女の涙だというのは真であったのだな♪」
「…誰だよ…そんなこと吹き込んだのは…」
「演技指導は霞と朧殿だ。特に朧殿は熱心に指導してくださった♪」
「月路先輩…ホント、余計なことを教えるんだから…」
ベッドから降りると疾風は呟いた。
千夜子が朧を性悪と言う理由が分かってきた、今日この頃。