刃に心《第9話・紅き月夜》-5
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁ…」
「落ち着け、楓!くそっ…」
焦りと恐怖は大きくなり、それに反応するかのように腕の群れはさらに二人に迫る。
「邪魔ダァア!」
疾風は無理やり腕を振り払った。同時に手から苦無がすっぽ抜けた。
「あっ…」
手から放たれた苦無は予期せずに黒猫に向かって一直線に進んだ。
───ぎぃにゃあああ!
苦無は結構な速さだった。避けきれなかった黒猫は額を切り裂かれた。
辺りに凄まじい叫びが木霊する。
途端に先程までそこに存在していた青白い腕の大群は煙のように消えていた。
「幻術…?」
疾風は態勢を整えると最後の苦無を抜いた。
「嫌…あ、あれ…」
楓の手足が静かになった。
「は、疾風…一体どうなっておるのだ…?」
「分かんない…だけど、あの猫が元凶で良くないモノだってことは分かる…」
黒猫は毛並みを逆立て、怒りを露にしている。
───ぃにぎゃあああああああ!!
より一層大きな声で鳴いた。
見る見るうちに黒猫の身体が膨らんでいく。
尾は幾つにも分かれ、その数五本。
虎ほどの身体を持ち、五つの尾を持つ生き物はもはや猫とは呼ばない。
「こ、これも幻なのか…?」
疾風の後ろで楓が引きつった声を上げた。
───バキッ!ガッシャアアン…
楓の言葉を否定するかのように化け猫は前足を振るい、近くにあった机を吹き飛ばす。
続いて、大きな爪を疾風目掛けて振り下ろした。
「くっ…」
疾風が慌てて後ろに飛び退いた為、代わりにまた一つ机が潰れた。
───グルルルルル…
喉を鳴らし、低く唸る。
疾風は楓を庇うように左腕を広げ、右手に握った苦無の切っ先を化け猫の喉元に向けた。
出口までは約1m程。
自分は兎も角、楓だけなら逃がせそうだ。
「楓…次にアイツが向かって来たらすぐに逃げろ。注意は俺が引くから」
「な、何を言っておる!それでは疾風が…」
「いいから!」
そんな二人を嘲笑うように化け猫はジリジリと間合いを詰め、その四肢に力を漲らせていく。
(最悪、差し違えてでも…)
腕の一本や二本、何なら自分の命くらいくれてやるつもりだった。
化け猫の身体がぐっと沈み込んだ。