星宿 一章-6
旅館に戻ると、昨日とは反対に賑やかだった。例のベンチがある方から、小さな男の子のはしゃぐ声が聞こえる。玄関に入ると、はじめて見る仲居が笑顔で優作を出迎えた。用意されていたご飯を食べると、優作は早々と布団に入ってしまった。
月明かりに照らされた彼女の横顔が、瞼の裏に浮かんだ。みぞおちあたりが、ギュウと痛くなる。そして『会いたい』と、強く思った。
優作は、布団を出て窓を開けた。今日も満天の星空が広がっていた。
「会えるよ、きっと。この空を、どこかで見ているんだ。だったら、いつかは会える」
優作はふと、根拠もなしにそんなことを思った。そしてそのときは必ず、彼女に告白をしようと決意した。
「また不毛な恋をしていないといいんだけど……」
優作は、彼女の言葉を思い出していた。彼女は、不倫は二回目だと言った。もう二度としない、と誓っておきながら、また妻子ある人と付き合っていたのだ、と。
恋愛は不思議だ。一途な彼女が報われない恋を繰り返していたり、女なんてめんどうだ、と思っていた自分が、彼女に出会った瞬間恋に落ちたり。
自分と彼女は同じだ、と優作は思った。流転しているのだ、彼女も自分も。同じところをグルグル回っている。
優作は窓を閉めて布団に戻った。目を閉じると、彼女の細い体が思い浮かぶ。そして、満天の星空と、その空に吸い込んでいくタバコの煙。その幻想に酔いながら、優作は深い眠りに落ちていった。
二泊三日の旅行を終え、優作は家に帰った。
「どうだったよ? 星がたくさん見える宿は?」
家で待ち構えていた陽一は、すぐに用件は言わず、優作の様子を伺っているようだ。
そんな陽一を見て、優作はおかしくなった。
「綺麗だったよ、すごく」
「二泊もして、他に何を見に行ったんだ?」
「……田舎の風景だよ。畑と民家と砂浜と。……それだけだよ」
「楽しいか? そんなとこに行って」
「ほっとけよ……」
優作は思わずため息をついた。楽しかったことは楽しかった。はじめの夜だけは。彼女がすぐ近くにいたときは。側にいるだけで、心がふわっと暖かくなった……
「おまえ、旅行中になんかあったな?」
じっと優作を見ていた陽一は、深く考えるようにそう言った。そんな陽一に、優作は平静を装いながらも心では驚いていた。自分は普段どおりに振舞っているつもりだったのだから。
なにもないよ、と言い返すと、陽一は長いため息をつき、ちらちらと横目で優作を見た。
心を見透かされているように感じた優作は、話を逸らすため、前から疑問に思っていたことを聞いた。
「おまえはさ、なんでそんなに僕と敦子を付き合わせたいわけ? 仮にそれで僕が敦子を好きになったりしたら、おまえはそれで平気なの?」
すると陽一は急に真剣な目つきになった。
「まさか。嫌にきまっている。……でもさ、俺、敦子を見ていてわかったんだ。あいつはさ、おまえじゃなきゃダメなんだよ。ずっとおまえしか見ていなかったのに、横から俺がいくら言っても聞いてはくれない。不器用に一途だからさ」
遠くを見るような目を、部屋の隅に向けて陽一が放ったその言葉は、優作はまるで自分のことを言われているように感じた。
「不器用に一途、か……」
優作が無意識に呟いた言葉に陽一は驚いた顔をした。そしてニヤリと笑みを浮かべ、
「おまえ、やっぱり何かあったな」
と言った。
自分が人生初めての恋をしたことを、陽一にバレるのは時間の問題だな、と優作は思った。それを嫌だとは感じず、かえって心地良くさえ思えた。
その晩、優作は陽一が以前よりもずっと身近に感じたのだった。