星宿 一章-4
「外に行きませんか。星が綺麗ですよ。」
言ってからキザだったかな、と優作は思った。恥ずかしい。今すぐ消えたい。
それが顔に出たのだろう。彼女はまだ涙を溜めたままの瞳でフフ、と笑った。
「星がゆっくり見える場所があるのよ」
彼女はそう言って歩き出した。頼りなさげな彼女の後ろ姿を呆然と見つめていた優作はあわてて追いかけた。玄関を出たとき、優作は思わずあっと息をのんだ。里山がある真っ暗な闇の真上にちりばめられた、すさまじい星の数に圧倒され、優作は言葉を失った。
「やっぱりすごいわね。この星空」
彼女もまた、星に魅入っていた。
建物に沿って歩いていくと、崖沿いに古ぼけた木製のベンチがあった。横に大きな木があるせいで、建物の正面からは見えない場所。彼女が座ったそのベンチに、優作も腰掛けた。そよ風に乗って清潔な甘い香りが微かに漂ってくる。その香りに反応し、優作の体は硬直した。
しばらく無言で頭上の星空を眺めた。ときおり彼女がひと口づつゆっくりコーヒーを飲んでいる。
夜風は少し涼しかったけれど、お風呂で温められた体にはちょうどよかった。足元でコオロギが鳴いている他は音がない。優作は、彼女の吐息を感じてドキっとした。空に顔を向けながらも、自分の神経が彼女に集中していたためだった。
優作は、彼女のしぐさひとつひとつを横目で見ては胸が高鳴った。
やがて彼女は、ぽつりぽつりと話しだした。たった今あったことを。それは優作にとって、あまり聞きたいことではなかった。それでも、ときどき相槌をうちながら最後まで聞いていた。さっきまで泣いていた彼女を悲しませたくない、という思いと、喋っている彼女の声が魅力的だったからだった。
「私、彼と別れるわ。その方がいいと思うの、お互いに。だって、彼、子供がいるのよ。小さな女の子なの。来年幼稚園に入るらしいし、いつまでもこんなことを続けていられないでしょう?」
彼とはここで知り合ったのだと説明したあと、彼女は言った。
「でも、好きだったのよ。私も彼も。本気だった。何度も夢見たわ。彼と結婚できたら、ずっと一緒にいられたらって。……でもね。彼は家庭を捨てられなかった。子どもがかわいいといいながら、結局、奥さんも愛していたのよ、あの人は。ずるい人。そして、とても弱い人。外見だけは立派に見えるのに。男の人って、みんなそうね。いざとなると、逃げて行くのよ……」
彼女にとって自分はこの場かぎりの人なのだろう。だから、普段は滅多に話さないという身の上話をしているのだ、と優作は思った。
ならば。自分もそのつもりで彼女と接しよう。せめて今夜だけでも、彼女の瞳に自分が映っていてほしい……
そう優作が考えていた矢先、隣からシュボッと音が聞こえた。彼女はタバコを吸っていた。外見からは想像しにくいその姿に、優作は驚いた。
「タバコ、吸うんですか?」
少々間抜けな質問をすると、彼女は幽かに笑って
「たまに、ね」
と言った。
フーッと彼女が吐き出す煙が澄んだ空気に吸い込まれていく。
優作は煙を追って空を仰いだ。そこに広がるのは雲ひとつない満天の星空。
優作は不思議な気持ちがした。こんな綺麗な星空の下、星が宿るという名の旅館で、見ず知らずの女にはじめて恋をし、そして失恋までしているのが、なにか意図的なもののように感じた。それを世間では運命とか宿命とか呼ぶのかもしれない。そういう不確かで迷信じみているものを信じない優作であったけれど、今夜ばかりは信じたい、と思った。