星宿 一章-3
優作の周囲は本人の意思と無関係に、いつも賑やかだった。両親の明るくて人当たりの良い性格は自宅にたくさんの客を呼び、そのたびに優作は話の種に呼び出された。それが嫌なわけではないけれど、長年そういう生活をしていると、ひとりで静かなところに行きたい、という思いになるのも無理はなかった。
秋は夕暮れが訪れるのが早い。
優作が窓辺の椅子に座りお茶を飲んでいると、窓の外は次第にオレンジ色へと染まっていった。
夜になり、食事をすませた優作は庭に出るために玄関へ来た。綺麗だという星空を、視界をさえぎるものがない外でゆっくり見るためだった。
誰もいないと思われた薄暗くひっそりした廊下で小さな話し声が聞こえる。夕方に見た、例の公衆電話の方からだった。そして声の主は、そのときに見た彼女。今度は涙声で、必死に何かを訴えている。あのとき話していた相手は結局来なかったのだろうか、と考える優作はまた、彼女に目が離せないのだった。
旅館の浴衣に身を包んだ彼女は、優作が立つ方に背をむけてしゃがみこみ、やがて体を震わせ泣きだした。ときおりしゃくりあげながら、電話の相手と話をしている。
(この人もか……)
優作はがっかりした。朝、陽一に話した、『高校生のときに付き合っていた』元彼女、千秋。その千秋と、目の前にいる彼女が重なって見えた。恋に生きる女ほど、扱いに困る生き物はいない。自分はいつもどうりに振舞っているだけなのに、千秋はひとり盛り上がったかと思えば、突然泣き出して優作を困らせた。
でも、すぐにそんな思いは消えていった。目の前にいる彼女の背中があんまり寂しそうで、思わず駆け寄って抱きしめたい衝動にかられたからだ。そんな自分に驚きながらも、優作は、もはや彼女が気になる程度のものではないことを実感するのだった。
優作は気づかれないように足を忍ばせ、そっとその場を離れた。そして、もときた廊下を走り、この旅館唯一の自動販売機で缶コーヒーを買った。温かいものを飲んで、わずかでもほっと和んでほしいと思った。
彼女のもとへ戻ると、もう電話はしていなかった。
片手に缶コーヒーを持ち、少し離れたところで優作は立ちつくす。彼女の背中は他人の接触を拒んでいるように見え、優作はなんて声をかけたら良いのか戸惑った。しばらくの間、身動きもせずに彼女を見ていた。
薄暗い廊下で、彼女がいるところだけ月明かりがほのかに射し、彼女を照らしている。お風呂に入ったのだろう、髪は少し濡れていて乱雑に肩にかかっていた。明かりの消えた玄関から、サァァとかすかに音をたてて風が吹き込んだ。彼女はふと顔をあげ、開け放たれた玄関の向こうを見た。泣きはらした瞳でぼんやり眺めていたかと思うと、何かに誘われたように立ち上がった。そして、人の気配に気がついたのだろう。背後にいた優作を見てビクッと体を震わせた。
優作は少し迷ってから彼女に近寄り、手にしている缶コーヒーを差し出した。
「これ、間違って買っちゃったから……」
優作がそう言うと、彼女はきょとんとした。突然声をかけた優作がどんな人物なのか考えているようだった。
その様子を見て優作は後悔した。ふいのこととはいえ、もっと優しい言葉をかけてあげればよかった。
優作が差し出した手をひっこめて逃げようとした瞬間、彼女はありがとう、と言ってコーヒーを受け取った。そしてその場で缶を開け、コーヒーをひとくち飲んだ。間近で見る彼女のしなやかな動き。缶を持つ白く細い指。化粧を落としても赤い唇。泣いたために赤く腫れた瞳。
ギュッと締め付けらる感覚に、優作は胸を押さえた。彼女のすべてが目に焼きつく。月明かりに照らされた彼女は、すべてが美しかった。
もっと一緒にいたい。何か話さなくては。こういう時、女性はなんて声をかけられたら喜ぶのだろう。
優作は後悔した。こんなことなら、千秋にもっと優しくしていればよかった。