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『定例会』
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『定例会』-8

 「ねえ、性善説と性悪説ってあるでしょ。」
 「ん?うん。あるね。」
 「私、性善説のほうが正しいと思う。」
 「それはまたどうして?」
 「そっちほうが残酷だから。」
 佐藤君は返事の代わりにコーヒーを一口すする。
 「だって、人が生まれつき正しい性質を持ってるって言うなら、人生を送っていくってことは、どんどん自分が悪いものに変わっていっているということじゃない。」
 佐藤君は何も言わず、コーヒーを啜る。届いたばかりだというのに、そんなに一気にのんだら口の中を火傷してしまうんじゃないかと思う。
 「じゃあ君は、自分がどんどん悪くなっていっていると思う?」
 「そう思ってる。」
 「そう。」
 それから佐藤君はスプーンでカップを緩やかにかき回し、その渦の中心を眺めた。まるでその渦の中から次の台詞を探し出しているみたいに。
 「ところが、物事はそう単純じゃない。」
 何秒間かそうした後に、佐藤君はどうやらそれを見つけた。
 「そもそも、物事にはいい面と悪い面があるわけじゃない。ただたんにいろんな性質がある。」
 ふうん、とだけ私は言っておく。多分、佐藤君の少しだけ長い話がここから始まる。小さめの木。と私は思う。
 「このザッハ・トルテ。」
 と皿を持ち上げて佐藤君は言う。
 「この美味しいチョコレート菓子は、少し暑いところに置いておくとたちまち溶けて駄目になる。夏の暑い日に店で買って家に持って帰ろうとなんてしたら、ドライアイスかなにかを一緒に入れて行かなきゃ、あっという間にオジャンだ。もったいない。こんなに美味しいのに。暑さで溶ける、っていうのはチョコレートの大きな弱点の一つだね。」
 ふうん。私はここで相槌を打つ。それから佐藤君はザッハ・トルテをフォークで一欠けら口に含んだ。
 「うん、美味い。口の中でチョコレートが溶けていく感覚がたまらないね。うん。口の中の熱で溶けるっていうのは、チョコレートの大きな魅力の一つだ。」
 そこまで言うと佐藤君は満足したように私を見て微笑む。
 「話が回りくどいし、たとえが幼稚だわ。」
 佐藤君の話に対しての、私の批評は少しだけ辛辣だ。
 「そうかもしれない。でも君は最初から最後まで全部聞く。途中で遮ったり、飽きたそぶりを見せたりしない。ちゃんと理解もしてくれる。」
 「寛大なの。」
 「そうかもしれない。だから普段、君以外にはあまりこういう風には話さないよ。人によって話し方を少しづつ変える。処世術ってやつだね。」
 短い間に佐藤君は、そうかもしれない、と二回も言った。口癖なのだ。
 「そういうのって疲れない?」
 「疲れるよ。少しはね、でも友達があまり多くないから、それほどでもない。友達が少ないことのいい面だね、これは。それに君と話してる時はほとんどそういうことに気を遣わずに済む。精神が少し回復する。」
 「私たちはよく似ている。」
 私は紙に書いた字を読むようにして、そう言った。
 「僕たちはよく似ている。」
 佐藤君もそれに続いた。てっきり「そうかもしれない。」と返してくるかと思ったのに。
 私は手を伸ばして佐藤君の皿のケーキを一かけら掬い取った。美味しい。佐藤君の言うことはいつもただしい。
 それから佐藤君は、くしゃりと顔を崩して笑った。歯と歯の間からの「th」という音。あまり魅力的な笑顔でもないけれど、私はこの笑い方は嫌いじゃない。
 不恰好な温かみ、と私は思った。
 口に含んだチョコレートが溶けていくのが、ほんの少しだけ早くなるような、そんな感覚がした。
 佐藤君の話はやっぱり、少し時間を置いてから私を納得させた。一人寝る前、布団の中で「ありがとう」と口に出して言ってみた。照れくさくなっていつもより顔を深く布団の中にうずめて寝た。
 佐藤君の連絡先を私はいまだに知らない。今日みたいに、会いたいと思っても確実に会えるとは限らない。でも、私はそれでいいと思っている。そうでなくてはいけないと思う。


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