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『定例会』
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『定例会』-6

 土曜日の定例会を懐かしみつつ、私は今、大講義室にいる。
 大学に進学なんてするんじゃなかった、と思うことがある。後ろのほうの席で、退屈な講義を聞き流しつつ佐藤君の小説を読み、私はまさに今そう思っている。何となく、今の自分をふがいなく思う。私の場合、特に明確な目標や、自己を高めようという強い意志も無い。
 無垢な陽光が降り注ぐ子供時代。美しくも物悲しい、一瞬の夕暮れとしての青春(今となっては本当に一瞬の出来事だと思われる)。そして夕暮れも終わり、深い闇と喧騒の夜の時代に踏み込まなくてはいけない。けれど、それができずに、オレンジ色の去った、紫と灰色の混じり合ったような、夕暮れと夜の狭間の中途半端な期間を、なんとか引き延ばそうとしている。ただそれだけの学生生活。その中で、自分の内の何か決定的なものが徐々にすり減っていっている気がする。今の私には、光も闇も味方しないだろうという気がしてくる。
 正直な話、私は佐藤君に嫉妬していた。彼の小説は、たしかに立派な木と呼ぶのにふさわしい内容だった。昼の光や、夜の闇をしっかりと浴びて、その中に取り込んでいる。
 私には書けない、と思う。実は私は、作家になることを夢見たことがある。いや、過去形にするのは逃げだ。そう、今でも、半分以上諦めながらも、漠然とした夢の輪郭は、消しゴムでは消しきれなかった鉛筆の落書き跡のように、私の中に控えめにこびりついてはいる。普段は気付かないけれど、その場所をよく見さえすれば、はっきりとその跡を認めることができる。佐藤君の小説を読むことで、私はそれを意識してしまうことになった。
 でも今では、その夢に以前感じたような圧倒的な魅力がない。どうしてだろう。
 授業時間が終わるより先に、佐藤君の小説を読み終えてしまったので、私はしかたなく『西洋哲学B』の授業に耳を傾けた。
 「カントはぁ、その著書『判断力批判』の中で「ピラミッドを見るには、それに離れすぎても、近づきすぎてもいけない。」と言っています。近すぎるとぉ、細部の断片ばかりが目に付き、全体が見えません。離れすぎると対象は小さく見えてしまう。ピラミッドの「崇高なる大きさ」を感じるためにはぁ、適切な距離というものがあり、その距離からはぁ、人間の理性はピラミッドの、相対的ではなく絶対的な大きさというものを感じぃ……」
 カントの考えはなかなか興味深いものがあったけど、教授の眠りの断片のような響きの声が、その価値を三段階ほど貶めている。この間テレビで見たあのバンドのヴォーカルの人が、この講義内容を話せばいいと思う。きっと素敵なことになる。カントの言葉はその真の価値を取り戻し、ヴォーカルの人の声はその魅力をほとんど完成されたものにするだろう。
 規定の授業時間の三分ほど前に講義が終わる。
 佐藤君に会いたい、と思った。


 コーヒーが届けられる前に、砂糖とミルクが届けられる。私はここではコーヒーに砂糖もミルクも入れない。甘いケーキと一緒に飲むから、という理由もあるけど、その砂糖とミルクが乗っている小皿の上の世界を崩したくないから、というのも理由の一つだ。
 縁に控えめな装飾が施された小皿。その上に背の低いシンプルな円筒状の磁器と、その脇に慎ましやかに寄り添う、ポットを模したような形の、ステンレススティールの小さなミルクいれ。円筒状の磁器の中には、角砂糖が一、二、三…七個、いかにも物静かに収まっている。角砂糖は茶色くて、表面が不均一にでこぼことしていて、中にはきちんと立方体になっていないものもある。砂漠の岩石を思わせる。でも、真っ白ですらっと滑らかで、角がぴんと尖った角砂糖よりも、こちらのほうが、温かみのようなものを感じて私は好きだ。不恰好な温かみ、と私は思う。
 本を持っていなかったので、私はただじいっとして佐藤君を待っていた。時計を眺めたり、角砂糖の数を数えなおしたり、爪の長さを確認したりした。そして時々、自分の存在証明としてのようにコーヒーカップに口をつけた。時計の針は一秒に一目盛進み、角砂糖の数は相変わらず七個で、一昨日切ったばかりの爪は綺麗に丁度いい長さだった。


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