『定例会』-11
「出たら。」
私は由香ちゃんに言った。
「出て。」
もう一度言う。
由香ちゃんは、ゆっくりと時間をかけて立ち上がって、ゆっくりと時間をかけて携帯電話へ手を伸ばす。無駄だ、と私は思う。そんな時間稼ぎをしたってこの振動は止まない。
「もしもし。」
由香ちゃんは部屋の隅のほうの壁に、私に背を向けてよりかかって電話に出た。声が震えている。
初めのうち、「でも」とか「だって」とか、そんなことを切れ切れに言っていたけど、そのうち由香ちゃんはほとんど喋らなくなって、ただ電話の向こうからの声に細い声で頷いていた。いつもエネルギーに満ちていて、すらっとした独立的な強さをたたえた細い肩と背中が、今は弱々しく震えている。その背中を、私はずっと見つめていた。私は、いつでもいつまでもこの背中の味方でいよう、と誓った。これは私の最も大切な人の一人で、私自身でもある。
最後に、ごめんねとありがとうを言って、由香ちゃんは電話を切った。
震えを収まらせて、洟をすすって、涙を優しく拭う。それをしっかり時間をかけて済ませた後、由香ちゃんはコタツに戻ってきた。私は由香ちゃんのためにブラディ・マリーを丁寧につくり、私のためにカルーア・ミルクをつくった。お互いの好物で満たされたグラスを、それぞれ右手に持って、軽く傾けて触れ合わせた。
「乾杯。」
私も由香ちゃんも、とても美味しそうにそれを飲んだ。
「よかったね。」
と私は言う。
「うん。」
と由香ちゃんは答える。その声は、いつものエネルギーに満ちた姉の声だった。
彼女はきっとこれから深海の水圧に慣れて、そこの住人になるのだろう。それはあるいは、兄の考えるところの、数少ない本当の愛の形にあてはまるのかもしれない。
悪くない。それでも私たちは姉妹だし、支えたり支えられたりするのだ。それは一生変わらないだろう。
それから、もう何杯かお酒を飲んで、由香ちゃんが帰るというので途中まで私が送っていくことにした。
夜の風は冷たく、でも親密だった。
私たちはなんとなく手を繋いで歩いた。私が斜め前を歩いて、由香ちゃんの手を引くような形で。
そうしていると、昔を思い出した。私たち二人ともが小学生だったころ。由香ちゃんと私と二人で出かけていって、道に迷って夜までひたすら歩いた。私は何度も泣いたけど、由香ちゃんはそのたびに私を励まして、私の手をしっかりと握って力強く歩いた。今思えば、由香ちゃんだってその時泣きたかったに違いない。家に着いて、心配した兄ちゃんが駆け寄ってくるなり由香ちゃんも私と一緒に泣き出した。とにかく二人で泣いた。
今日、私の前で由香ちゃんが泣いてくれたことが、どこか嬉しかった。私はただ守られるだけの頼りない妹ではなくなっているのだ。
「ねえ、今度また定例会をしようよ。」
私は言った。
「今日は兄ちゃんだけ仲間はずれにしちゃったからさ。」
「いいね。じゃあ今度は樹んちに押しかけちゃおうか。」
「順番からいったら次は由香ちゃんちじゃなかった?」
そうだったっけ、といたずらっぽく微笑む姉は、すっかりいつも通りだった。
別れ際
「ありがとうね、香澄。」
と言ってくれた由香ちゃんの顔は幸せそうだった。
帰り道、私はある決心をした。少し不安もあるけれど、試してみる価値はありそうだ。
明日またあの喫茶店に行ってみよう。きっと佐藤君に会える。
街灯の下で、ポケットの中の携帯電話を握って、佐藤君の連絡先を電話帳のどこに登録しようか、と考えていた。