癒し涙-1
「もういい。ひろくんはゆかを好きじゃないんだ?」
電話ごしに響く由佳の鳴き声。
またか……
仕事で疲れているのに、その上由佳のヒステリーに付き合うのは正直辛い。
「そんなことないって」
こんな言葉では由佳は到底納得などしないだろう。そう思いながら返事をし、冷蔵庫からビールを取り出した。
「じゃぁ、会いに来て。いますぐ」
缶のプルタブに指を入れたところで手が止まる。
やっぱりそう来たか。思わず顔が緩む。そんな場合ではないのだが、由佳のまっすぐで一途な想いを聞くのは、やっぱりうれしいものだ。
「あのな、由佳。俺がそうするのは簡単だがな。由佳が淋しいたびにそうしていたら、キリがないだろう? 俺は由佳と長く付き合っていきたいんだ」
何気なく目をやった窓から、月がみえた。俺はテーブルにビール缶を置き、部屋の明かりを消した。丸く明るいその月は、カーテンのない部屋にほのかな光を射し込む。
「……そんなこと言ってごまかされないもん。淋しくて死んじゃう。学校なんてやめちゃって、ひろくんと一緒に住みたい」
そう言って由佳はまたしくしくと泣き出した。俺は窓辺に座り、空を見上げる。そして、由佳が落ち着くのを待った。
「星が見えないんだよ、由佳……。あたり前のようにたくさん星が見えていたそっちが懐かしいよ。この街は賑やかだけど、その分俺は孤独さを増すんだ」
プシュッと音を立ててビールを開けると、喉を鳴らして飲んだ。由佳の泣き声がピタリと止まった。
「ひろくんは孤独なの?」
「あたりまえだろ。ここには由佳も友達もいない。毎日仕事ばかりで、くたくただよ」
遠くで街の喧騒が聞こえる。電車が走る音や車の音。アパート内は静かだった。由佳はしばらく黙り込んでいた。
「金曜日に有給を取るよ。週末、どっかに行こう、泊りがけで。のんびりできるところがいいな。どこがいい?」
俺の話を聞いて、由佳はふたたび泣き出した。何度もごめん、と言った。由佳のすすり泣く声に、俺はこのうえない安らぎを感じ、心は満たされていった。だからうっかり、口を滑らせてしまった。これは最後の手段にするつもりだったのに。
「あと、ケータイを買おう。俺専用の、話し放題のやつ。淋しくなったらいつでも話せるように」
そんなものを買ったら、由佳はそれこそ四六時中電話をかけるに違いない。後悔したときはもう遅かった。泣いていた由佳は急に声を張り上げ、何度も本当? と言う。
「ひろくんといつでも話せるんだ! いつ電話かけてもいいんだ!」
電話の向こうで目を輝かせている由佳が簡単に想像でき、俺は思わず笑ってしまった。
「仕事中はするなよ? わかっているよな。あと、おまえの授業中もな」
「そのくらい、わかってるよぅ。子どもじゃないんだから。……ひろくん、ごめんね。由佳、自分のことばっかだった。ごめんなさい」
急にシュンとして素直に謝る。俺はみぞおちに圧迫感を感じた。愛しい。由佳に今すぐ会いたい。
「旅行、どこに行く? 急だからあまり良い宿は取れないな」
昂る気持ちを抑えるようにして言った。そうしないと、仕事を投げ出して由佳のもとへ飛んでいってしまいそうだった。
明日は水曜日。週末まであと二日だ。二日がまんすればいい。
そう言い聞かせて、俺は、はしゃぐ由佳の明るい声に、うとうとと心地良い眠気に誘われていった。