最悪の幸福-1
黒い棺桶の様な車に乗せられてから、もう1時間は経っただろうか。
6歳の時に両親が死んでから10年、我が家となっていた孤児院を出て、やっと正式な家族を持つ事が出来るのだ。
ジェリアンは期待、緊張、不安で体が震えるのを抑えられなかった。
「もうすぐ着きますからね。」
先程から真剣な面持ちでハンドルを握っていた初老の男性が徐に口を開いた。
「え、ぁ…はい。」
緊張の中、突然声を掛けられジェリアンはどもってしまった。
運転席の男性、モルオークは、これからジェリアンが一員となるトッティ家専属ドライバーである。
白髪混じりと言うよりは黒髪混じりの、穏和な顔つきをした、年配でありながら頭脳の明晰さと機敏さを失わない真面目な性格の持ち主だ。
しかし優しげな表情とは裏腹にモルオークの心は酷く沈んでいた。
(まだ16歳か…。不憫でならん。)
モルオークはミラー越しにジェリアンを見た。
艶やかな黒髪、透き通る様な白い肌。
子犬の様に丸い、黒目がちな瞳。
日に焼けていない桜色の唇。
細身で華奢な体ではあるが、大人になりかけた色気が漂っている。
白いワンピースから覗く四肢は彫刻の様に美しい。
(可哀想になぁ…。)
そんな事を考えている間に、車はトッティ邸の門をくぐって玄関前に停止した。
モルオークは機敏な動きで運転席を出て後部座席のドアを開ける。
「ありがとうございます。」
ジェリアンが丁寧に礼を言い、宝石の様な瞳で微笑む。
モルオークもそれに応えてにっこりと笑顔を返した。
「モル〜!おかえりぃ!」
玄関前の両脇に広がる広大な芝生、ジェリアンの右側から元気な少女の声が響く。
「シャミールお嬢様。只今戻りました。」
シャミールと呼ばれた少女はモルオークに抱きつき、無邪気な笑顔を振りまいている。
ジェリアンは事前に知らされていた家族構成を思い出した。
シャミール・トッティ、14歳。
トッティ家の一人娘であり、ジェリアンの妹となる少女である。
(可愛い…!!)
わざとらしくない程良く巻かれた腰まである金色の髪。
サファイアの様に澄んだ青い大きな瞳。
自分のものとは一見して違う上質な布で出来たフワフワのワンピースは薄いピンク色に染まっていた。
太陽の光が反射されるくらい白く眩しい肌。
全体の幼さに相反して、薄い唇と豊満な乳房が色気を放っていた。
明らかにジェリアンよりシャミールの胸の方が大きい。
ジェリアンは薄っぺらいワンピースと貧相な乳房が恥ずかしくなった。
とは言ってもジェリアンだって16歳としては充分な大きさなのだ。
「ねぇ、モル。この人が?」
ジェリアンとは違う、子猫の様な瞳を上に向けてシャミールが訪ねる。
「えぇ。ジェリアン様でございますよ。」
シャミールの額に浮かぶ汗を拭ってやりながらモルオークが答える。
「初めまして、私はシャミール・トッティ。シャムでいいよ。」
下からジェリアンの顔を覗き込み、シャミールが自己紹介をする。
「初めまして、シャム。私はジェリアン、ジェリィって呼んで。」
人懐っこいシャミールに安堵の息を漏らしながら、愛想良く同じ様な自己紹介をする。
「さぁ、旦那様がお待ちです。中に入りましょうか。」
モルオークは頃合いを見て声を掛けた。
「はぁい。行こ、ジェリィ!」
シャミールは元気よくジェリアンの手を引き、玄関の扉をくぐった。
「凄いお屋敷…。」
ジェリアンは呆気にとられた顔で邸内を見渡した。
玄関を入るとすぐ、5人のメイドと2人の執事が「お帰りなさいませ」と声を揃えた。
一番年配の(と言ってもまだ20代であろう)メイドがジェリアンに近づいてくる。
「初めまして、ジェリアンお嬢様。私はトッティ家専属メイド、主任のヘィゼルと申します。宜しくお願い致します。」
お嬢様と呼ばれた事に違和感と恥じらいと戸惑いを感じながら、「こちらこそ」と挨拶する。
ホールの天井には目を疑う程綺麗で大きなシャンデリア、両脇に伸びる2階への階段には赤いフカフカの絨毯。
部屋数は計り知れない。
「お荷物は私どもにお任せ下さい。旦那様がそわそわしてらっしゃいますので早く行ってあげて下さいな。」
ヘィゼルはクスクス笑って2階に通じる階段の真ん中にある大きな扉に目配せした。
「お父様、凄く楽しみにしてるのよ。ジェリィ、行きましょ!」
シャミールは楽しそうにジェリアンの手を引き、その扉をノックした。
すぐに扉が内側に開く。