伊藤美弥の悩み 〜受難〜-6
「一ヶ月彼女に付きっきりなんて……まるで恋人じゃないですか」
「あら、いいじゃない!」
龍之介の言葉に、保健医は手を打ち合わせた。
「一ヶ月間実際に付き合っておけば、手を出す男がいくらか減ると思うわよ」
『なッ……!!?』
二人は声をハモらせ、同時に赤面する。
「好きでもない人と付き合う趣味は持ち合わせてません!」
「伊藤さんに失礼でしょう!」
「う〜ん、若いわあ」
保健医は、ニコニコしていた。
「龍之介君。いったん首突っ込んじゃったんだから、諦めて伊藤さんのガードをしなさい」
「っ……」
「伊藤さん。どういう理由か知らないけれど、あなたのフェロモンは龍之介君には効かないみたいね?それは龍之介君がこの一ヶ月、他の何よりも心強い味方になるという事なのよ?」
そう言われた美弥は、脳裏に貴之の姿を浮かばせた。
「うっ……」
また落ち込みたくなったが、そんな事をしている暇はない。
「じゃ決定。二人共、仲良くしなさいね」
「ごめんなさい」
開口一番、美弥は謝る。
――駅前にある、某ハンバーガーチェーンのファーストフード。
結局授業をサボって美弥と龍之介はそこに陣取り、保健医が無理矢理決めた『一ヶ月間限定の交際』について対策を練ろうとしていた……のだが。
「何が?」
甘いバニラシェイクを啜っていた龍之介は、不思議そうな顔をする。
さっきは蜂蜜で甘みをつけた紅茶を飲んでいたし、割と甘党かも知れない。
甘い物が好きな美弥は、何となく龍之介へ好感を持った。
「いや、その……さっき助けて貰っただけでもありがたいのに、こんな事に巻き込んじゃって」
「ああ……」
そう言って、バニラシェイクを一啜り。
ストローから口を離す際にシェイクが唇の端からこぼれ、龍之介は慌てて舌を出して舐め取る。
その動きが妙にセクシーで、美弥はぎょっとした。
「まあいいよ。乗り掛かった船って奴」
そう言われて、美弥は我を取り戻す。
「ホ、ホントに?本当に良いの?」
美弥の問いに、龍之介は目を細めた。
「ただし、覚悟はして欲しい。男に襲われないようにするためには、四六時中傍にいないといけないから」
「え?」
「トイレの中にも付いて行く、とは倫理的な問題もあるから言わないけれど……僕と離れた隙を狙われたら、そういう偽装をする意味が全くないじゃない」
「あ、そうか……」
「朝夕の送り迎えはもちろん、休みの日も街に出掛けるなら友達より僕を呼び出す事。友達と一緒くたに拉致されたら、どうしようもないからね」
美弥が大きくため息をついたので、龍之介は怪訝そうな顔をした。
「どうかした?」
「いや……これから一ヶ月、高崎君には迷惑掛けっ放しになるんだなあと、今つくづく思ったの」
「引き受けた事だから、気にしないで」
龍之介は、微笑みを浮かべる。
「あ、そうだ……今度から、名前で呼んで」
「え?」
「彼氏彼女らしく」
美弥は驚いて目を見開くが、すぐに目を微笑ませた。
「うん。それじゃあ今度から、『龍之介』で良いのね?」
「もちろん。それじゃあ一ヶ月間よろしく、美弥」
太陽が西の空を朱く染める頃、美弥と龍之介は伊藤家の前にいた。
「いや〜。送って貰うなんて、ホントに恐縮しちゃうわね」
少しおどけた言い方をする美弥に、龍之介は微笑みを向ける。
「襲われないための配慮。気にしない事」
「うん……」
――会話が途切れ、気まずくはない沈黙が落ちた。
「その……」
「あの……」
同時に口を開いてしまい、二人は顔を見合わせて吹き出す。
「その……今日は迷惑掛けっ放しで、ごめんなさい。それと、ありがとう。一ヶ月間、よろしくね」
龍之介は、頷いた。
「こちらこそ。不肖高崎龍之介、これから一ヶ月間、姫君を守る騎士の如くあなたのお傍に……」
気取った言い方に、美弥は腹を抱えて笑い出した。
「何てな。それじゃあ、明日……ここからなら、学校まで徒歩で……」
「十五分」
「よし、健康のために歩こう。八時頃には迎えに来る」
「うん。それじゃあ、さようなら」
応える代わりに手を振り、爽やかな微笑みを見せて龍之介は帰っていった。
――家に入るとキッチンからは夕食の準備をする音がし、二階からは重苦しい雰囲気が流れて来る。
どっちへ行くか美弥は悩んだが、二階へと足を向けた。
兄の部屋の前は、いっそう重苦しい雰囲気が立ち込めている。